スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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反移民。白人崇拝主義のスウェーデン某政治党党首

スウェーデンには、移民を排斥し、なるべく白人であるスウェーデン人が白人だけの国をつくるべきという政党がある。なまえは、スヴェリエデモクラテールナ。スウェーデン自由民主党。小さな町の日曜日、駅前の広場で集会などこまめにやっている。増えすぎる海外からの移民。アフリカ、イラン、イラクなどのクルド人、アジアのタイ中国人など、差別はいけないという学校教育や社会の声。スウェーデンは、EUに参加しているが、いまだにユーロになっていない。大きな反対があるからだ。社会党の時期党首、将来の首相といわれたアナリンは、ユーロへの積極的推進者であった。街のどこにも彼女の大きな顔の選挙ポスターがはられていて、ユーロへと大きな声をあげていたが、街中のわたしもよくいくデパートで殺人にあっている。デル杭は打たれるのは、スウェーデンもそうなのだろうか。オルフパルマーしかり、この国には、理解ができない事件がおきる。ダブルスタンダードという人もいる。デンマークから流れてきた移民たちが、問題をおこして、いまやひどい街といわれるMALMO.(Aのうえにまるがふたつ)たしかに、先日KISTAのショッピングセンターを歩いていたら、スウェーデンと思えない80パーセントが移民のお客さんとほとんどが黒髪の移民の労働者。

いやストックホルムの空港のカフェやレストラン、おすしやさんやサービス業の給仕、バー。キッチンは、そのほとんどが移民である。スウェーデンが働き者の移民の人にのっとられるという危惧をいだくスウェーデン人がいてもおかしくない。ある駅でひとり5人ずつ子供をつれていたアラブ系のおかあさんと4人つれていたアフリカ人のお母さんたちのグループ。

駅の構内は、スウェーデンというよりも、アフリカかアラブの国のどこかの駅の感じがした。スウェーデンに住んだらスウェーデン同化教育が行なわれる。それも当然である。郷に入ったら郷にしたがえ。移民は、カメレオンのように両方を上手にまとって生きていくしか生き延びる方法はない。羊のように静かに尊重する社会のルール。東欧社会。ロシアの周辺国。南米。タイの女たち。スウェーデンが伝統にこだわって、スウェーデン文化を必死で死守することを最近どんどんとスウェーデン化の声がきこえてくる。

いや。インド人が多いイギリスは、インド人ぬきに、イギリス人は生活ができない。おそくまであいているきんじょの食料店。インド料理屋さん。インド人は、インドの文化を守りながら、イギリスにしっかりと根をおろした。スウェーデンの移民は、隔離政策により、住宅地ソーデルテリエやKISTA.あたりやRINKEBYなどに移民村や町が作られている。さて、移民の定義。そこに移り住んだ人。旅人ではない人。街のなかで時折ジプシーをみかけるが、彼女たちは、膨らんだビロードの長いスカートにフリルのブラース。長い髪をしているが、スウェーデンで生まれてスウェーデン語を話している。移民とはいわない。移民という定義をふと考える。
Anti immigrants, pro swedish political party leader. Anti Turkey.
外国人移民だいきらいな政党代表。トルコがヨーロッパなんて絶対許せない!黒髪きらいなおじさん。


この政党代表をまねしたコメデイアン。いいかたそっくりで。テレビのインタビューという設定。スウェーデン語だが、雰囲気はつたわってくる。いっていることは、スウェーデンはスウェーデン人白人に仕事を全部させなくちゃだめですよ。だいたい移民なんてでていけばいいんだ!!!トルコ。がヨーロッパなんて絶対許せません。あのトルコはアジアです。アジアはアジアでヨーロッパじゃないのですよ。というと思ったら、移民がだめといってるわけじゃないんですよ。だいたい私たちの王様だって、フランスからの移民ですからね。。。

もしお嬢さんが、つれてきた男性が、移民だったらどうしますか。うーーーん。いや、わたしは、嫌いませんがね。でもひたすら悲しいです。(スウェーデン的表現)かくして、移民もしくは移民の家族背景同士のスウェーデン人カップルが多くできあがる。








ついでに、移民がたくさん住む町、ストックホルム郊外のRINKEBYを紹介しよう。そこでは、独特のスウェーデン語があるというが、移民が知らない間に、隔離生活を余儀なくされる実態がある。短期間のお客様学生や研究者は、お客様として丁重に扱われるが、戦争難民や、経済移民は、まったく別な土壌に住み、スウェーデンの現実社会に直面している。

リンケビイの街,
リンケビイで移民の子供たちがアラビア語やトルコ語をまぜて話す。もちろんスウェーデン人とはほとんどスウェーデン語。移民の子供たちは、スウェーデン人として育つが、両親はスウェーデン語が話せない子供があり、二つの言語、また外国語を混ぜて話したりする現状がある。ユーゴスラビア、ギリシャ移民、貧しい国から豊かなスウェーデンに労働力として来た1960年代。当時日本から学生やあるいはふらりと旅行できた人に話をきいたが、そのころ、スウェーデンでの生活水準や給料が高く驚いたという。差別も1970年台にはあり、日本人へ対する差別的な感覚も感じたという話も聞いたことがある。じろじろとアフリカ人を見ることは、現在ではなくなってきたという話。移民感覚は、お客様や旅行者としては、決して感じることができないヨーロッパでの体験。言葉を習得しても母国語のように使えない。アジア人では、移民中国人やタイ人はたくましく生きている。

by nyfiken | 2009-08-16 22:39