スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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Tribute to Mr. Tsuka Kohei.




つかこうへいは、対馬海峡に散骨してくださいという意志を娘に伝えたと聞く。韓国と日本をつなぐ海峡。62歳は、まだ、若い。スポットライトがあたらない、無名の小さな花花を大きく育てた。路上に咲く、自信がないお花に、花なりの自信を持たせる。そうして育った役者がたくさんいる。あの蒲田行進曲の役柄でつか自身は、だれだったのだろう。せつないほど、日本や韓国の男心を見せてくれるあの映画、蒲田行進曲。恥の多い人生。と自らの人生をそう表現したといわれるが、この恥という謙遜の情は、もしかしたら東洋の美徳かもしれない。謙遜の情は、欧米においては、ないわけではないが、ニュアンスが通じにくい。恥の美学。つかさんは、2世であるが、日本語が読めない親のために、ひらがなにしたといわれている。

韓国を6月訪れて、人々の心が優しいのに、心が打たれた。特に、80年代以降に生まれた新しい年代は、ホテルやレストランやお店屋さんの店先で、行く先々で、英語以上に、日本語が通じる。日本語を使うほうが、人々が優しく、もっと親切に教えてもらえることが多い。韓国の人が、話す日本語は、とてもやさしく聞こえる。

つか氏は、多くの人々を育てた。花を咲かせるまで、つか流のどんな指導があったのだろう。もういちど、昔の本を読み返してみたい。これをスウェーデンのテレビで放映したら、スウェーデンの人はどう思うだろうか。泣いたり笑ったりさせることが得意な人。ご冥福をお祈りする。

蒲田行進曲のシーンでわたしは、劇場でぽろぽろと泣いた。つかこうへいが、どこまで女心を知っていたかどうかは、わからないが、女というものはね。と断言させているあたり、つかさんらしい。そういうふうに言われたことがあるのかもしれない。松坂慶子の大ファンでもあった。この映画は、昭和時代の松竹映画でも名作中の名作といえよう。

蒲田駅で今でも流れるこの曲。蒲田駅は、昭和時代、東横で蒲田まで行き、東横線沿いの子供たちが連れていってもらったデパート食堂階の紅花べにはなガステーキやハンバーグを食べさせるレストランとして人気があった。昭和スタイルの懐かしいデパートの洋食屋さん、東京で育った子供たちの、週末外食をするとき、まだファミレスがなかった時代のデパート食堂レストランの時代。子供時代の思い出のレストランもデパートからとうとうなくなったという。古きよき昭和がどんどんと遠くなっていく感じもするが、80年代の高度成長期は、70年代から日本がバブル前までとてもポジテイブだった時代。団塊の世代。男がまだてらいや恥じらいがあった時代。というより男らしかった時代というのだろうか。





Kohei Tsuka is the greatest korean Japanese and he is the few of that could make us cry and laugh t at the same time thhrough his novel and movie.

With his magic, the person who could have gotten his advices, they bloomed their flowers in their way. Tsuka's novel made me cry and touched the bottom of heart. Sentimentalism, he is always the side of minor peoples , focused on the person who can not be major so easily with warm love. He pays attention to the nameless flowers on the roadside, then light on this nameless little creature.

I read his last will on the first of January written by himself through the net just today. His real strong wish is to let us know he wanted to be the bridge between Korea and Japan. Maybe this is his real will. Tsushima kaikyo...the sea between Japan and korea, he would be there. His will will be respected.
30 years have passed since Kamata Koshinkyoku that made most  Japanese audience cry including me..

In this movie, I still remember this song. Mr.kuwata made this song, of course he is Shonan boy, so he knows very well about Yokohama just like me.


つかこうへい。70年代80年代。なんかいい時代を生きてきた年代。あれだけの作品をたくさん残し、たくさんの人に影響を及ぼした人はいるまい。やっぱり明るくいきたい。つかさんが、好きだった曲って、こういうかんじでは。。I like this bright song. Tribute to Tsuka. This song is for you and your soul by all fans.

by nyfiken | 2010-07-13 08:49