スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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蒲田リハビリテーション病院

365日リハビリテーション病院。土曜日も日曜日もなくリハビリをする病院。85歳の義母は入院し、片側半身不随寝たきりになってもおかしくなかった状況から、頭も身体ももとに戻った。車いすからたちあがって、今は手おし車で、杖もなくても歩ける状態までなった。最初体がまがって、ベッドに座らせても体がななめに落ちてしまい、まっすぐ座れない、おむつの状態からトイレにひとりで歩いていけ、また階段を4階まで登れる訓練など夢の夢だった。最初の舌がまがって目が半分とじ、顔が少し曲がってしまった状態から全く普通にもどったのは、驚き以外の何物でもない。もちろん最初に救急車で運ばれた時は、国立病院の初期手当もよかったことは、幸運そのもの。知り合いの医師に兄弟のひとりが相談、すぐに大きな病院に救急車で搬送した初期判断がいいことの幸運もある。足が動かなくなって、横になって休んでいたが迅速な判断も脳出血の場合は大事だということ。普段から塩辛いお漬物が好きで高血圧の持病を持っている85歳の女性には、珍しくはないが、その時に、家族がすぐそばにいて通報して大きな病院に運んでもらい、幸運にもすぐに脳圧を下げる薬処方など専門医がいたという東京都心の老人の環境もプラスに働いた。


最初の救急病院での基本的な治療もさることながら、本人の幸運だけではなく、人間は、倒れた後に、どのような環境、周りが懸命に本人の自立を促すかが大事であることを今回思う。やってあげることは、本人のためではなく、なるべく自分でできるようにすることが、寝たきりを作らない、本人の頭も体もきちんともとに戻れる可能性を作ることになるということを認識して、選んだ病院の選択。リハビリをしなければいけない一番大事な時期を逃すことなく、指導と努力で、元気になった。85歳の老人でも鍛えられることがいかに大切かが勉強になったもの。もしあのまま家にいて体を動かせずに、いたら。。義理の妹がスウェーデンの福祉を書いた本、寝たきりを作らない国という本を最初の病院に入院していたころに、買ってきて、みんなで回し読みをした。次の病院に選んだ蒲田リハビリテーション病院の選択も第一になるべく自分でできるようにさせたいという強い願いがあった。専門の理学療養士の多くの先生が毎日4コマなど授業のように患者がトレパントレシャツで訓練し、お食事もベッドではなく、食堂にいってみんなでいただくなど、というシステムが斬新だったこと。


今回の脳出血、数年知らない間に進んでいた脳梗塞と年齢の脳委縮などこの後遺症がどこまであるのか、起き上がれないとか何も食べたくないとか、そのままに本人を寝かせていたら、今頃は、半病人どころか、意識ももうろうとしているだけの状態だったかもしれない。蒲田リハビリテーション病院の若い先生たち、理学療養士、作業療養士、言語療法士、看護士、そして医者のチームワーク。階ごとのフロアマネージャーなど徹底したプロの取り組みは、新しく改装されてひろびろと明るい病院で大きなリハビリ室のなかに、キッチン台や日本間、お風呂など患者が日常生活に戻ってもちゃんとやっていけるところまでさせるリハビリの場が設けられている。
同じ入院患者さんでも、85歳でもしっかりと頭がしゃんとしている人もいる。広間でテレビを見たり、新聞や雑誌を読みたいと思うひとは
頭がまだしっかりしている。活字を読みたいうちは、しっかりしていらっしゃるとみる。私の楽しみは、お見舞いの時に、同じお部屋にいる人たちとおしゃべりしたり、あるいはお食事の時に、そばでみなさんのおしゃべりを聞くことだった。お食事中急に戦争の話になって、80歳から85歳のみなさんの戦争の時のお話には、ひとりひとりの話がまるで映画を見るようにリアルだった。若いスタッフが明日の日本を背負う人たちが、専門の知識を持って社会に役立てている姿を見ると気持ちが前向きになったもの。日本を背負ってきた今の70代から80、90代の老人たちが、戦争を経て精神的には強いとはいえ、年をとるとなんでもないことが不安になるということもわかった。



九州の病院が福岡からスタッフをつれて東京で初めてオープンした病院は、大成功と見る。ほとんど動けない状態、だだをこねたり、わがままほうだい、ばかやろう!としか最初どならなかった男性患者までが、みるみる間に、少しずつやる気をだして、元気になっていく。20代の単身赴任や九州からでてきたスタッフの毎日の苦労には頭が下がるが、そういう若い力に支えられて、現代の姥捨て山ならぬ姥拾い山のリハビリ病院から、寝たきりをさけられたご老人、あるいは事故で動けなかった人たちが、どんどん回復していく。若いハンサムな先生たち。日本的なサービスと細やかさ、若いひとたちのやる気、そこに老人福祉やこれからの介護のあるべく姿を見た。スタッフがいう。スウェーデンは福祉の本場ですものね。行ってみたいなあ。ストックホルムに戻ってきたその日にある老人ホームでのいじめや少々ネガテイブなニュースを聞いてがっくり。どこも完全ではない。システムはよくても、税金が高すぎるスウェーデンでは人材が足りないとか人が少ないといった問題がある。ただ自立をうながす用具はすごい。女性がパンツをしゃがまなくても、すわってひとりではける道具までスウェーデンでは売っている。かがまなくても足の間を擦すれる柄の長いブラシまで。

自立心はスウェーデン人は子供のころからそう育てられている。マンパワーは日本のほうが多いけれど、スウェーデンは90過ぎてもひとりで生活したい人が多いし、子供がいても、やはりひとりでアパートに住む。自分の生活がいよいよできなくなったら、ケアハウスにはいる。スウェーデンの問題は、できると言い張って実はできなくて、薬を飲み忘れたり、介護をしている90歳の奥さんが95歳のご主人の薬を飲ませるのを忘れたということが問題となるそうだ。


ちなみに、義母は、ここ数年、あんまり長生きはしたくないわ。行くならさっさと行きたい。もちろん本心は全く違う。生きようという気力は強く、生命力を強く感じさせる。倒れてからそういうことは一言も口にださなくなった。生きるために、必死でがんばっている。さっさと行きたいなど言うときなど、死ぬなんて絶対思わないときだからこそ出てくる言葉であり、ある意味では傲慢なのだと思う。自分はまだまだ大丈夫という自信がどこかにあるからこそ、言える言葉。と義母を同じく看て、いつも同じようなことを聞いていた弟のお嫁さんもいう。思ったことだが、人間は、本音と言っていることは違うことがある。まさに、ぼけて、意識がもうろうとしているときに、たがというのか、なにかがはずれて、本音をぼろぼろという。思ったことを言わないように大人になると訓練され、思ってもいないことを言うこともある。お世辞がなくなる本音のオンパレードとなる85過ぎのご老人は、目が見えにくくても、人生の経験でよく見えている。ただ、もう少し若い時、70代に、ものがどこにあるか、無駄なものを整理することが大事だと痛感する。老前整理とういうタイトルの本を思い出す。

スウェーデンのひとみたいに、少しはこぎれいに暮らしたいものである。いらないものを惜しげなく、救世軍や赤十字のお店に持っていき、寄付をする。というのが理想であるが、年をとってから、大事なものは、昔元気だった時に、いろいろ集めてきた思い出の品や思い出そのもの;ということもあって、多くの人は捨てられずに80くらいになると思い出の品でお部屋がいくつあっても足りなくなる。義理の母は、わたしが10年以上前にプレゼントであげたスウェーデンの包装紙やその時に包んだリボンまでとってある。そういう私もアパートの地下の倉庫に、いろいろな国の思い出の品やいただきものが段ボール箱にぎっしりはいっている。タイのチャイナタウン近くの市場で昔買ったインド人のお店から買ったスカートや、インドデリーの街中地下のパサーるで衝動買いしたパーテイ用バッグは派手すぎて一度も使っていない。ネパール人の友人が国から買ってきた刀の形をした入れ物にはいっているブランデー。パプアニューギニアの人形や怖いお面。バリ島の街中で買ったあやしい絵。そういった誰も欲しがらないもののオンパレードだ。母親が若い時に履いていた70年代の夏の巻きスカートなどなど。大学生の時、家庭教師のアルバイトをして手に入れた十万円シルクの赤いワンピース。東京のおばさまに退院祝いにと買っていただいたあこがれのハイヒール靴。南国酒家でおじさまとおばさまと食事をいただいた後、東京で一番靴の種類の多いデパートの売り場で、どれでもいいから一番好きな靴を選んでね。と待っていってくださったおばさまはもう天国に。といったひとつひとつの品には思い出がある。なかなか捨てられない。

年をとると不安になるご老人も多い。スウェーデンの知り合いもいう。義母は、93歳一人暮らし、アパートから近所のICAに買い物にひとりでいって、何か作って、小食という。すべてのものは心配になって、恐れおののくが、それももともとの性格だという。もともとの性格が年をとるとますます強くなるというのは世界共通だ。怠け者はどんどん怠け者になり、怒りんぼうは怒りんぼうに。心配性は、5分ごとに時計を見て、時間がたつといっては、ため息をつき、トイレにいきたくなったらどうしようと心配する。


蒲田リハビリテーション病院のシステムもスタッフもいいし、日が昇る九州から日本の革命は起きるのかなと感じさせられる。病院の経営者の江戸時代から医者の家系9代目の蒲池院長の経営理念がすばらしい。頭には知識を、手には技術そして患者さまには愛を。というスタッフへの理念もいい。病院のホールに活けられた美しいお花のアレンジメント、廊下に飾られた絵。ピアノが奏でる音楽など、病院が若いスタッフの若いオーラと元パイオニアの会社が改築により生まれ変わった広々とした病院の建物で老人患者が多い病院であるにもかかわらず内装やトーンや雰囲気が明るい。

患者同士のやさしさや思いやりが私には一番温かく感じられたもの。日本のひとは、やっぱりやさしい。今回一番感じたことだ。みんながんばって!病院スタッフに感謝。以下、先生。上部先生、石田先生、宮田先生、櫻井先生、橋爪先生、葉子ちゃん、琴乃ちゃん、(ちゃんという感じがかわいいために)まつげのチャーミングな先生、大沢先生他、神さん、本当に4階のスタッフ、先生みなさんありがとうございました。患者のいらいらを日々支えて、叱咤激励し、訓練するその忍耐強さ。高度な専門性を生かし、子供を育てるように、患者を成長させる。入院されていらっしゃるみなさまも一日も早いご回復を。訓練を無事卒業し住みなれた家に戻れますように。

印象に残った入院患者で85歳の入院していたおばさまは、頭を大手術、坊主頭だが、一命をとりとめて、リハビリをしている。最初は、歩行具、今は杖で片手に紙コップにホットコーヒーーを入れて持ってくる。一日3回朝昼晩のコーヒーは欠かさないという。夕食時に、食堂にある自動コーヒー機から自由にコーヒーを入れて食卓に着く。わたしは、一切水をとらないのよ。お茶もだめ。でもこの3回のコーヒーだけ。これが一番。ええ。頭を手術したってこの習慣は変わらないわ。商店街でお店をやっていて、倒れるまで何十年も朝の日課はいきつけのマスター(80歳近く)の喫茶店でモーニングをいただいて、朝のコーヒーが楽しみだったのよ。昭和を駆け抜けてきた日本のおばさまは、モダンだ。リハビリテーション病院の中で、わたしは、本を読むより、80歳以上のおばさまたちの話に耳を傾けるのが楽しみだった。
by nyfiken | 2011-12-04 22:05