スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

映画 趙先生

1998年制作の中国映画。本国では上映禁止されているが、1999年に日本では東京の下北沢の劇場で上映され、たまたま観に行った。本国で上映禁止など知る由もない。それまでの中国映画と全く違う映画で非常に印象深く、心に残り、中国映画の新しいスタイル黎明をしっかりと感じた。映画を観終わって、うーん。とうなって劇場を出る映画はいくつかあるが、この映画もそのひとつである。ストーリーは、改革開放で、それまで職場結婚やあまり恋愛に縁がなかった文革時代のちゃらちゃらしない時代から、いきなり、中国社会が変わり、婚外恋愛が都市にでてきた。先生という真面目な職種の趙先生も婚外恋愛とそしてストーリイはいきなり展開していく。中国では、私の知る限りでは、以前は、同じレベルすなわち、大学や職場、あるいは紹介であまり身分や教育程度の違う相手との結婚は、なかった。が混とんとした時代には、自由恋愛を謳歌しようといった回り雰囲気に既婚者もついついと気が緩む。しかし中国は一般的に共稼ぎの男性より女性が強いので男は頭があがらない。(本当は女性は男性の掌の上でいばっているだけで、そうではない。)

恋愛事件を描いている。上海の音、光、が伝わってくる。ドキュメンタリータッチの映画は、妙にリアルで、中国が変化する1995年から2000年の間に作られた。今の中国の前線に立つ20代の親の世代、子供時代に毛沢東を信奉していた親の世代が、変わりいく中国の古い価値観と新しい価値観の中で生きてきた時代が映し出されている映画。いちゃいちゃするもてる中国男性の結婚以外のだらしない女性関係映画と観ては、作った製作者の人に失礼である。


私の知っている上海の街の音やにおいがする。町の車の往来の音。ほうろうの洗面器。普通の人の家やアパート。少し洋風な上海の街の煉瓦作りの建物。今の新しいピカピカのマンションの前は、みんな同じようなアパート宿舎に住んでいて生活はシンプルだけど、中国らしい不思議な温かさやぬくもりがあった時代だった。今上海を訪れても、ひとつ世代が移ってしまったタイムトンネルの未来に先送りされた上海の姿があり、通りにあった屋台もバス停の前でおじさんがあげていた豆腐も、忽然とどこかに消えてしまった。もう2度とあの上海の街にあの景色が戻ってくることはないだろう。意識の記憶の中にだけ存在する。

古き良き上海の街の往来を歩き、その時代に身を置いた私は、忽然と消えてしまった上海の街を思いをはせ、映画の中で見える街の音にある種のノスタルジイを感じざる負えない。この映画をただ単にふらふらした愛とか恋愛とか男の人の性とかたずけるのは、いけない。もっと映画の背景にある古い中国から新しい中国に代わる価値観の変化の時代の中にいた人間だけが知る時代の空気が濃厚に写しだされている雰囲気を感じよう。1997年あたりでなければ、決して作れなかった変わる前の上海の最後の映画であり。上海の街が今のように変わってしまう直前、新しい時代の黎明期の映画といえよう。今の20代の上海人が、子供時代に見た大人の世界1995年以降が映し出されている。17年近く時間がたち、子供だった人たちは、親の世代になりつつある。

上海を舞台に、趙先生ととりまく女性との関係。映画には、おちがある。経済発展とともに、中国では離婚が増え、お金持ちは、愛人を持つことも珍しくなくなったという。(以前は香港人や台湾人のお金持ちが上海の街に若い愛人を持っていた。美容室でヘアを整える若い女性は、夕方どこかにでかける。その姿をいつもいぶかしげに見ていた。虹橋地区の高級マンション近くの台湾人や香港人が多く住むあたりでは、カフェには太った中年男性と若い女性がコーヒーをいちゃいちゃして飲んでいたりしたものだ。コーヒー一杯は、ラーメン3倍分くらいの値段があり、当時は日本にあった一般庶民の人のカフェ文化が上海にはまだなかった。ネスカフェやミルクとお砂糖が一緒に入った小さな袋を開けて湯を注ぐインスタントコーヒー文化。上海で手軽にブレンドコーヒーを飲んだり、ローストしたコーヒー豆を買ってきて家で飲む文化がまだ広まっていない時代に唯一上海の真鍋コーヒー屋に行って静かにコーヒーを飲む贅沢感があったが、もっとも真鍋コーヒーは今よりずっとクラシックだったが、発展した中国ではファストフード店もコーヒー店も普通のことになりひと世代たって上海はすっかりと変わってしまった。印象では、中国らしいわびさびのある静けさの部分がぴかぴかの豫園のようになってしまい、2000年前の実にさび感があった豫園の茶館がなつかしい。

中国の長い歴史の中で一番変わった時代1995年から2000年の5年間は、古き都市がそのまま残り、路地裏、サツマイモがほっくり焼けた真っ黄色の色の芋を道でアツアツを食べて南京通りをゆっくり歩けるゆとりがあった。濃厚な甘い焼き芋は、日本の焼き芋と同じくらい、いやそれ以上においしく感じて寒い秋、感動しながらいただいた思い出がある。その上海の街は、1990年代中後半から急速に工事があちこちで始まり、人々は混とんとした工事中の街を歩き、未来の発展を信じ、新しい中国に移るうねりの時期をたくましく生きていた。そういった時代だったような気がする。

1999 This chinese movie was shown at a small cinema theater in Tokyo, I watched at cozy nice theatre with a cup of coffee in ceramic coffee cup that audiences allowed to have cup from Cafe. I was so surprised this new style of movie. Although the movie is not allowed to show in China.
この最初のシーンでは、妻は上海語ーさでいファンは、どこ?を話し、夫は北京の北京語を話しているのが面白い。)赵先生(1998) 导演 吕乐


The last scene..we audience are so striken by this last sudden change plot. Best chinese movie from China. This is chinese version of Shakespeare drama.

Since this shows us the life philosophy.
Take it easy, we should not be destroyed or hurt or be suffered. Nothing can be so heavy.
ラストシーンのどんでん返し。プロットは、観客をいきなり別世界に引き入れる。最高の中国映画というのは、このラストシーンにある。シェイクスピアドラマを思わせる人生哲学というのだろうか。誰が勝とか負けるとかではない。家を追い出した妻は、学校に住むはめになった夫が事故にあったのは自分のせいと攻め、子供のことでびょういんで父親が相手を攻めタ後に事故にあい、廃人になってしまったと、罪の意識を持ち、自分を責める。自分がまいた種といえ、一切の苦しみの日々にふと訪れた一瞬の楽しい思い出を思い出しながら、あとは忘れてしまった。事故にあって、ぼけ、一切の苦悩から解放された男も苦しみから解放される。人生には、何が幸せで何が不幸かなどわからないのだ。男は、嫌なことを忘れ、妻や元愛人は、切羽詰まった気持ちでいたところに、電話のメッセージでぽーんと救われたのである。人生の妙。一切の苦が救済されるというまるで仏教の苦からの解放を映画で表現した見事な映画なのだ。解決方法がいろいろな方法で自然に施される。

微妙な人の妙に、人間は傷ついても、救われる。仏教的な東洋思想。それぞれが全く別な形で生きる苦から解放され、救われるといった映画を作った原作者、監督は天才である。演技者の自然な演技とも上海の空気をそのまま伝え、あえて上海語を上海人に、外から来た人には北京語を話させるという自然な表現方法もとてもよかった。ドキュメンタリータッチの映像は自然であり、この手法の映画をするなど斬新である。監督はどういう海外の映画作品の影響を受けてきた人なのだろうか。あるいは、この手法は、むしろ新しい都市を描いたヌーベルシネマ上海スタイルといえるかもしれない。残念ながら、多くの上海人は劇場でこの映画を目にすることはない。が中国だ。DVDの海賊版が市場の奥でいくらでも手に入るのも中国だ。禁止されるほど中国の映画愛好家たちは、観たくなるのかもしれない。芸術が本当に理解されるには、時間がかかる。次の世代にこの映画の評価がされるだろう。作り物ではない、都市上海に生きる揺れ動く現代の微妙な男女を描いた秀作は、もっと世界的に評価されてしかるべき映画といえよう。


这片子啊,上海人会看得很乐。。。哈哈。。。
という上海人のコメントが書き込まれているが、
by nyfiken | 2012-08-08 05:34