スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken

Marc Chagall マルク シャガール

シャガールの生きた時代は、戦争があり、ユダヤ人は迫害された。






シャガール。1887年ロシアの南の小さな海辺の村にユダヤ人家庭に生まれた。父親は魚の運び屋、母親は小さなお店をしていた。ロシアからフランスへ。まだ35歳人生の中で画家として大変だった時代に書いた自分の自叙伝。ロシアの環境から逃げるために新しい環境を絵の上に描き出した。1907レニングラードの美術学校へ入試を受けに行った。お金がなく、つてもなく、ユダヤ人の若者としてサンテぺテルスブルグへでていったが。試験を受け落ちた。が有名な画家について勉強し、そのあとフランスへ向かう。ロシアと違い、フランスのパリには、ロシアになかった自由があった。1910.美術界にレボリューションが、新しいものにチャレンジする流れがあった。彼は、ロシアからフランスへ行き、自分の環境を変えることにより、自身に”REVOLUTION OF EYES."が起きた。当時マテイス、キュービスとの影響を受ける。実際は、ロシアのデコレーションは、キュービニズムに反している。戦争時代にはいる。。。。

シャガールのロシア系フランス人のことを思うと、南の島で会った芸術家の知人を思い出す。Nyfikenは、人生で、南太平洋のもう一人のゴーギャンの画家に出会った。ロシアに生まれ、芸術家として教育を受けた故人は、パリを愛し、世界を旅して、旅の途中で魅せられた南の島で一生を過ごした。私は作品を何枚か持っているが、芸術作品はすべて布に描かれて、それはドレスとして仕立てられていた。ロシア系フランス人の芸術家は、美しい海辺の自宅に同じ性の愛人と暮らしていたが、最後ポーランドで手に入れたスウェーデンの夏でも手に入る果物の実を入れたウオッカを持ち帰り飲み干すこともなく、亡くなられた。30年間知っている古い知人たちの先駆者たちは、老境に入り、先輩は何かを残して(多くは、会話の中から残された智恵だったり、ちょっとした生きるヒントだったりする)遠くに行かれてしまった。自分自身を含めて若い時は、自分が何でも知っていると思いこみ、頭でっかちで分厚い本を読み反芻してちょっと自分の考えのように言ってみたが、そういう青い意見を何も言わずに聞いていた当時の大人たちの寛容さを今になって思う。

シャガールもフランス人でありロシア人であるが、芸術には国境はないと語る。長く生きたシャガールの残した作品は多い。作品は、年と共に円熟みを増す。

戦争時に、ユダヤ人狩りがあり、ユダヤ人のシャガールはアメリカへ渡る。戦後フランスに戻る。

ユダヤ人のシャガール、昨年のポーランドのアウシュビッツのことをふと思い出した。アウシュビッツへでかけた折に、いまだに残っている光景に私は頭をがーんと殴られる衝撃を受けた。

処刑所を博物館として保管している場所でユダヤ人が新しい土地を与えられると騙されて送られ、多くの立派な身なりの人たちが列車を降りた写真を見た。かすかな希望がどんどん失われ最後は失望へ変わる狭間で生きた人たちのことを思った。帽子とロングコート、皮靴と皮のカバン。そのあとに、身ぐるみをはがされ、自身の髪の毛を切られた。不思議だが、年よりは早く処刑されたというが、私が見た髪の毛の多くは、ふさふさとしてぎっしりと長いおさげの髪や、どう見ても若い女性の髪の毛が残っていた。鞄や靴、コート、宝石やお金と自由と希望をはく奪された。こういうことは、戦争により人々の狂気から起きたものだ。戦争は、大衆の常識を知らない間に、正当論で何者によって捻じ曲げられる。他の大国の思惑に翻弄される。常に用心すべきことは、本物の敵は後ろに隠れているものだ。国同士が争うことがあるならば、漁夫の利を狙う大国がどさくさに紛れて便乗し、漁夫の利を狙い剥奪するはえなわの歴史を忘れる程愚かではないと信じたい。マスコミの質の低さはすべての国の運命を翻弄する。

日本人は、これからは、3つの言語で情報を得なければいけない。母国語日本語で伝えられるニュース、英語もしくは米語、そしてもう一つどこか別の言語である。3つ以上の言語で、国のお抱えの翻訳家が政治家の都合の良いように訳されたものでなく、自分自身で納得する訳で理解する一つの言語だけからの情報だと、片手落ちであることが多い。日本が真珠湾に攻撃し戦争を起こしてしまったのは、終わった後は、一部の軍のせいにさせられたが、事実はそうではない。国のムードをそのように作ってしまった報道にもよる。欧米からの輸入に頼っていた日本に食料を絶つというニュースがあり、今の北朝鮮の人のような精神状態にさせられたことは、追い詰められた精神状態を作り出し非常に危険であった。

芸術には国境はない。とシャガールはいう。グローバルな時代に、国境をめぐって戦うナショナリズムは、危険である。それは、まさに一部の戦争屋によって経済の復興のために仕組まれたことかもしれない。武器産業は暇になるとブランド品を作るが、ライターだけでは、なかなか利益がでないために、もっと大きな武器を買わせたい。思惑に正直な民は、のせられないことである。どこがニュースを作るのか。武器商人と同じ経営者たちでないことを願うのみだ。戦争の辛さを知る古い世代が世の中を去ると、痛みを忘れた人たちは、またぞろぞろとおかしいことを言い出す。スウェーデンもスイスも戦後世界で一番豊かだった。戦争をしなかったからだ。豊かさで半世紀ずいぶんと恩恵を受けた。豊かさは、戦争をしない国ほど、疲弊せず豊かであるのは、自明の理である。戦争特需を狙ったアメリカの疲弊は、戦争により失うものが大きいことを物語っている。









by nyfiken | 2014-07-04 08:56