スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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Nyfiken10月の歌







9月30日が終わり、10月に入る。初秋から秋へ。
しっとりした大人の女性ジャズボーカルはアルトで魅力的。
秋にはジャズがしっくり合う。夏の間太陽の光をたっぷりと浴びて育った
実のりの季節を迎える。

感動するような美味しいコーヒーをいただきたい。とふと思う時がある。

コーヒー一杯にこだわるマスターが丁寧に入れたコーヒーを飲みたい。どうして、昔コーヒーをいただいた時に、美味しかったのだろうか。コーヒーをいただく空間や、音楽、雰囲気も大事。

私の好きだったコーヒーは、カウンターのみのお店で、赤いドイツの陶器のカップ、マスターは無口でほとんどしゃべらない人だった。がこだわりと美学があった。
静かにジャズが流れ、2種類しかない手作りのお菓子パンプキンパイとミートパイは絶品中の絶品だった。そのコーヒーをドイツの赤い陶器のカップの口をつけるところが陶器の温かみがあり、オーブンから少し温めてでてくるスパイスの効いたパンプキンパイのシナモンやオールスパイスの何ともいえないスパイスが口の中で広がり、コーヒーとの相乗効果で、感動的だった。ミートパイは、幻のパイになってしまったが、中にホウレンソウとジャガイモとミートがはいっているパイでパイクラフトがさっくりとしていた。お店はなくなってしまったが、いまだにあのすばらしいパンプキンパイとミートポテトパイは、忘れられない。もう一つ気に入っていたチーズケーキと別のケーキ屋さんの菫のお花砂糖漬けが上に飾られていた洋酒の味がするチョコレートケーキもコーヒーとよく合い忘れない。

北欧の生活から学んだコーヒーのことは、太陽の自然の光の中で
シンプルにコーヒ―を外でいただくことは、実は一番贅沢だということ。
喧噪のなかでいただく日常から離れて、高原で明るい太陽の下、木を前に飲むコーヒーは美味しい。他の人が飲んでいたコーヒーは、山に登り頂上で、誰かが簡易セットでお湯を沸かして、ホーローにコーヒーを入れて飲んでいたのをそばで見た時の事を忘れない。


インスピレーションを喚起されるカフェとは、有名店のおばさまたちの
おしゃべりの声高な喧噪の中でいただくコーヒーを飲む場所ではない。

ハロッズの地下食品売り場の横にある世界の観光客相手にお茶などを出すテイールームでいただくのとも違う。銀座和光のケーキショップ2階のほとんど女しかいないコーヒーサロンとも違う。

行きつくところは、昔喫茶店でまじめにまじめに、蝶ネクタイをしたマスターが一生懸命心をこめて入れたコーヒー一杯。酸味とにがみと香りとふくよかさが本当に美味しい。一時期誰でもそういう時代があるように、コーヒー豆にこだわった時期がある。焙煎が一番大事ということに気が付き、コーヒーの生豆を選びその場で焙煎してもらい、注文してから時間までお店で待つか、焙煎後送ってもらうよう手配するなど、豆の焙煎する新鮮さにこだわりが高まったこともあった。焙煎後すぐいただくコーヒーの香りのよいこと。それは、やはり感動するコーヒーと言えよう。また、私は、マンダリンコーヒーの本場にいたが、焙煎が命のコーヒーは、いくらマンダリンの豆(スマトラマンダリン)でも、焙煎がだめなところで買うと美味しくない。町で一番焙煎が上手なお店という噂のお店にでかけた。日本人の口コミはとても大きい。

中国の上海あたりは、1990年代は、まだ日本的なカフェがなかった時代で、その頃、街中のカフェのコーヒー一杯がラーメン一杯くらいした贅沢なものだった。日本式なコーヒーを入れるところはMANABEというコーヒー店が昔の日本の喫茶店みたいに真面目にコーヒーを入れていて、ラーメン一杯くらいのお値段のコーヒーというぜいたくな感じは今は昔のお話となってしまった感があるが、当時のまなべのコーヒーのお味は日本仕込みで美味しかった。



オーナーのこだわりやマスターの人生哲学や美学が伝わってくるカフェが大分前に日本にはたくさん存在した。
日本の地方都市には、洒落者が作る美味しいコーヒーを供すお店がある。チェーン店や紙カップコーヒーがダメと言っているわけではないが、美学が感じられるカフェの雰囲気は、懐かしい。いわゆるコーヒーをとても真面目に入れるお店。スウェーデンでもイギリスでも最近は、空港のラウンジでもどこでもオート化した機械が作るものとなった。機械化することによって、人の手と泡を観察しながら作ったコーヒーの味が変わった。スウェーデンの濃いコーヒーは苦みがきつくて本当にカフェでおいしいと思えないのは、私の舌がおかしいのだろうか。甘いデニッシュと一緒にいただくといいのだが、この地の焙煎がフレンチローストのように濃いので、苦みがどうしても先に来る。

スウェーデン人にとって美味しいコーヒーは、案外日本人には濃すぎるので(ここに長く住まわれた人は、濃いコーヒーを好まれる人も多いが)私自身は、日本のサイフォンでこぽこぽ入れたり、ネルできちっと美味しくいれたコーヒーが秋になると懐かしくなる。日本の喫茶店は、外国の人は知らないが、豆の種類がたくさんあり選べる。感動したコーヒーは、ポルトガルのリスボンの色々な豆のエスプレッソだがネスカフェはインスピレーションを得て、インスタント機械ネスプレッソを考案したかもしれないと想像してみる。

コーヒーにこだわり、毎回色々な豆を手で回して挽き、サイフォンで飲んでいた時期が自分にあったとは、信じられない。カフェであまり選択肢がないコーヒーの大中小とい選択は、昔の中華ラーメン屋さんのラーメンのの大中小というサイズを思い出させる。カップちーのやカフェラテは、豆の本物のコーヒーそのものの違いが判らないブレンド万能の世の中が少しさみしい。

日本人でコーヒーが好きな妙齢の人ならば、キリマンジェロとコロンビアとブルマンとマンダリンとモカコーヒーは目隠ししても味の違いを言い当てることができるだろう。違いを舌で楽しむ楽しみ方がない、ブレンドコーヒー大中小という世界にいると、コーヒーに対する興奮度が減速していく。

我が母親は私が学生時代にサイフォンを使っているのを見て以来、長い間、朝必ずモーニングコーヒーをサイフォンで、ずっと真面目に最近までコーヒーを入れていたが、面倒になったのか、一昨年から簡単なドリップコーヒーに切り替えている。本家本元の娘の私は、サイフォンから普通の手でいれるドリップ、一時機械のドリップにしたが、入れたてでなく、作り置きのコーヒーを飲むのが嫌で、またドリップにもどり、最近では、時間のない時などはコーヒーをマグで飲むようになってしまった。ネスカフェゴールドブレンドは、日本の歌舞伎役者や俳優がコマーシャルに出て大成功したブランドだ。

学生時代、コーヒーのうんちく本を買って研究してどこの豆はどうとか、入れ方はどうとかとこだわっていた感性から見ると最近のこだわりの低下に唖然としてしまう。

スウェーデンに住む多くの日本人が共通して言うのは、(30年以上住んでいる日本人の人はこちらのコーヒーに慣れてしまっているので、日本のコーヒーが薄いという)”ああ、職場のコーヒーは、飲めませんよ。濃すぎて胃がやられてしまいます。”スウェーデン人はコーヒーに自信を持っているが、私は、いつも譲らない。

結論は、世界で知られていないがコーヒーを丁寧に芸術品のように喫茶店のマスターが入れたカフェが日本にはあるということをもっと外国の人に知って欲しい。最近のチェーン店のがちゃがちゃしたカフェは、都会で疲れて少し休みたい時に飲むので、味わうというよりも、ちょっと一息つくかんじだが、日本の経済が減速して以来、地代が上がり、コーヒーを贅沢に入れていた個人資本カフェが消えチェーン店が増えた。

それでも妙齢のおばさまが、地元でがんばって40年という喫茶店もある。マスターやお給仕のおねえさんは、80歳をすぎてもがんばっていらっしゃるのは、嬉しい。喫茶店を好きなお客様も一緒にお年をとっていくから、お客さん常連は、コーヒーを飲むという感じの文化が日本にしっかり定着していることに最近気が付いた。

新しい世代の人たちには、アメリカ型のファストフードの明るい紙コップでいただくカフェやマグコーヒーに慣れてしまっているが、今の妙齢方たちの年代60代、70代から80代以上の日本人は、コーヒーひとつにしても本物の美味しいものをたくさん知っている世代といえよう。

コーヒーの味は別にして、スウェーデンのカフェは、ソファがゆったりしているところなどが多いが、最近は
ちょっとご飯も食べられて、ワインも飲めるカフェが増えてきたような気がする。スウェーデン人の好むケーキ屋パン屋さんについているカフェも多い。注文してお金を払い、コーヒーを受け取りテーブルに自分で運ぶカフェが多い。丁寧にお給仕の人が、コーヒーの注文を受け、コマグでなくーヒーカップで給仕される従来のカフェが懐かしい。スウェーデンのカフェは、セルフサービスがほとんどであり、税金が高く、人権費が高いからそのシステムがうまれたわけであるが、スウェーデン式に合理的だ。

日本で女友達とたまに会う場合には、知人の女学生時代から通っていたという昔からある銀座の一本裏通りにある昭和の初めからあるカフェに行く。WESTのコーヒー店でシュークリームとコーヒーをいただくが、たっぷりはいっているクリームは、昔ながらの味というのだろうか。WESTのクッキーは、大きめのクッキーの詰め合わせだが今はいろいろなところで手に入る。銀座に昔からのお菓子屋の喫茶部は銀座のパーラーが何度も改築をするたびに雰囲気が変わってしまっているが、WESTは変わらないのが、よい。

外国人が1980年や90年代に来日し、ある日本の喫茶店でひとつひとつ丁寧にコーヒーを入れているのにびっくりし、アメリカに戻り、驚きをアメリカのお店のコンセプトにしたという。最近ニューヨークでそのコンセプトを持ったカフェがオープンし人気だというニュースを見る機会があった。日本の昔からある喫茶店文化はすごいのだといいたいのだが、案外外国では知られていない。

コーヒーの豆には、日本人なら誰でも知っているキリマンジェロ、グアテマラ、マンダリン、コロンビア、トアルコトラジャ、ブルーマウンテンやそのほかにフレンチロースト等
日本のコーヒー市場は、80年代バブルを契機に花開いた。世界からとても良質の豆を入れて、ローストの機械もカフェで焙煎し挽きながらコーヒーを出していた。

たかがコーヒーされどコーヒーというのだろうか。ストックホルムの町のカフェは、既に入れてしまったコーヒーが温める温熱の上か、ポットにあらかじめ入っているのを自分で入れて飲むというセルフサービスは、コーヒーのお値段を日本の円に換算すると、お値段の割には、サービスのなさに驚くが、それにも慣れてくる。

反対に、スウェーデンのサービスに慣れた人は、スイスのジュネーブあたりの宿で朝食の時、誰もいないオープンキッチンに作られていたコーヒーが温熱のウオ―マーの上にのっていて、キッチンのコーヒからセルフサービスと思った私などは、パイレックスのポットから直接入れようとして”マダム!”と給仕のお兄さんにびっくりされる。(私自身の話)

スウェーデンの生活に慣れてしまった悲しい性(さが)。マダム、お席にお座りください。と言われ、はっとし、恥ずかしい思いでオープンキッチンをでてテーブルにつく。カフェとミルクピッチャーとお砂糖は、銀の器に入れられ、レースが敷いているカップで給仕が、私のテーブル席まで供された。大陸スタイルといえよう。




by nyfiken | 2014-10-01 09:12