スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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温故知新 2

日本の過去の失敗は、甘さである。おごりと甘さ。これは、今の安倍首相そのものではないだろうか。世界を知らないし、アメリカを知らない。無知なる首相は、当時の戦況がわからず、精神戦をやらせた天皇を神にして戦わせた大本営と同様である。独善的な驕りを捨てよ。これは、安倍氏に国民が言うべきである。税金を使って国民に選ばれた職業政治家は、もっとしっかり国民の声を国政に反映してほしい。政治家が偉いのではない。政治家に政治をやらせてあげている国民が主権で偉いのだ。

太平洋戦争では、アメリカでは飛行機B29にカラーカメラをつけて、コカコーラを飲みながらパイロットが飛行機から攻撃した。動くものは全て標的だった。本土決戦となり、アメリカが空襲を始めた時に、子供時代に、母が、空襲警報がなり、たまたま外にいて、ある日アメリカの飛行機がやってきた。みなで近くの小高い山のほうに逃げた。その時小学校1年の母といとこや大人たちが、丘で隠れて見ていた時に、低空飛行をした飛行機からパイロットが当時植えていたジャガイモを盗んでいる!といとこが叫んで大人に口をふさがれたという。ジャガイモ畑に手が届くように見えるくらい低空飛行だったいう。その時に、遅く逃げた人たちは、飛行機から撃たれた弾ににあたって亡くなったという。

ガンカメラでとらえていた日本での空襲の映像。私はこのアメリカ人パイロットが70年前に日本の空襲の時に実際撮った生の映像を見て、イラク戦争やアフガニスタン戦争を思い出した。

ガンカメラの監視があるから撃つ。カメラでパイロットの手柄が後でチェックさrたのだろうか。私の亡くなった祖母が、生きている頃、話してくれた。気が強かった祖母だが、目をそむけたくなる光景だったという。田舎で空種があり、翌日子供である父の手をひいて、大きな通りに出た。道にそって死が体ごろごろしていたという。空襲の時に、町の大きな河に逃げて重なるようになって亡くなっていた人達の山。

夫が戦場に行っていて、子供を抱える若い母親(祖母)が田舎で観た光景である。戦争を経験した私の中学校の先生が子供時代に生徒に向って授業中に話した。戦争から列車で戻った時に、駅舎が燃えてなかった。海の手前で汽車が止まった。そして多くの家が焼けて、お寺と古い家が少し、石造りの小学校だけが見えたという。大空襲で町や焼けて、熱でみな川に逃げたが、火が強すぎて多くの人が重なるように河で亡くなっていたという話を子供ながらに覚えている。小学校の時の授業の中味は全部覚えていないが、授業の時に話した先生の話は映像のように何十年もたっても今でもしっかりと覚えている。また、別の中学校の先生は、きけわだつみの声の本を授業中に読んだ。先生が、白い昔の日本兵の亡霊のように見えたものである。

戦争の生き証人がいる間に、次世代に語りつくさなければいけない。戦争が起きて、国がめちゃくちゃになると難民として他国にのがれなければいけない。イラクやアフガニスタンの難民に私は、外国で会ったが、運命は悲惨である。他国に翻弄されないためには、期待を持たせ、あまり仲良くしないことだ。(他国=アメリカ)
World war TWO AMERICA ATTACKED ALL OVER JAPAN. THE CAMERA GUN CAMERA captured these villages and towns attacked in Japan. Real picture 70years ago.







映像記録史 太平洋戦争
戦争を経験した80才を過ぎた母が、先日国会をテレビで観ていて電話口で言った。安倍さんは、危険だ。戦争を知らないのよ。だからこそ危険よ。
小学生に入学するかどうかの頃に、戦争が始まったという。7才。昭和16年という。
母の祖母が、銀の簪や指輪、また、家にあるすべての鉄なべ、鉄瓶などを差し出したという。憲兵という怖い警察のような兵隊が来てすべてを差し出したという。憲兵は当時は怖がられる存在だったという。好きなことが言えないのは、憲兵さんの耳に入るからと言論の自由はなかったようだ。戦争が始まって1年くらいで、鉄なべや銀の装飾品などを武器を作るために差し出す際に、小さな声で7,8歳の孫の母に小さな声でこういったという。”鉄なべを使わなければいけないようだったら、日本は負けるのでは?”その頃、勝っているというラジオのニュースがいつも流されていたという。

”己を過信し、敵をあなどり、学ぶことを忘れた日本人の体質の欠陥。”これは、安倍氏に言えないだろうか?
大本営は、天皇直属だったという。天皇の統帥権を今だからこそ問われる時代となる。天皇を利用した軍が今後とも利用しないという手もない。国民の世論も意見も聞かない安倍氏には、こういった大本営の体質をそのまま受け継いでいる。3代目の政治家の体質の中に謙虚さのみじんも感じられない。安倍氏の甘さ。この甘さがなんとかなるだろう。という認識は甘い。

がダルカナルでの戦い。日本から直線距離6000キロ
日米の小さな空港の争奪。私は、実際この場所を訪れて、そして亡くなった兵士の見えない幽霊に滞在中一週間毎晩遭遇した。生き延びた兵士が、歩いた道でなだらかな丘の道も歩けなかったという。その途中でまた亡くなった人が多い。そしてまた、今はホテルとなっている海岸から、沖に停泊している日本の船まで、泳ぎついたものが、助かった。そこに若き軍医が乗っていたが、その人物にソロモンのホテルで偶然朝食の時に出会ったことがあり、話を聞いた。泳いでくる兵士にぶらさがってもう一人戦友の手をひっぱって泳ぐもの。途中で力尽きて亡くなったものなどがいたことは、昨日のように覚えているというお話だった。

ソロモン諸島に日本兵がジャングルを切り開いた。そのジャングルも観た。
31400人の日本の兵士が送られた。ジャングルを切り開き空港を開くためだ。これは、今の日本が武器を供給するとか後方部隊にも言えることである。
日本軍の多くの犠牲者がでたガダルカナル島。南太平洋。
ドキュメント太平洋戦争 第2集 敵を知らず己を知らず 〜ガダルカナル〜】




350機もハワイの真珠湾へ北海道択捉島から飛んだ奇襲攻撃。3年8か月の太平洋戦争
原爆が落とされたのも、すべてこの間違った判断がもたらした。



100回以上東京に空襲をしたアメリカ軍の攻撃の被害の記録。これは軍による情報規制のため
世に出されなかった。民間の家で見つかったもの。各地で市民を無差別に襲った空襲は、アフガニスタンもイラクも同じである。私たちは、アメリカと一緒に一般市民を犠牲にする戦争に加担することは許されない。どんな大義名分があったとしてもだ。

東京大空襲被害の記録

Kamikaze


アメリカ軍が理由なきイラクの戦争で無差別に市民をターゲットにして爆撃している時に、誰が一体利益を得たのかと考えた。戦争のことから次世代は目をそらしてはいけない。日本は、スイスのように中立国をめざし、スウェーデンのように戦争を回避する道をたどれば、永久に栄えるだろう。
by nyfiken | 2015-07-17 06:30