森鴎外ー舞姫
2008年 09月 23日
Libertango
"森鴎外の舞姫を読むときに、後ろでこの音楽が流れている。もちろんわたしの頭の中の話。
高校の教科書で一昔前の日本語の原文で読んだ舞姫。
わたしは、16歳の乙女心で純粋に感動してぽろぽろ教室で泣いた。乙女のころは、そういうものである。文語体の日本語の美しさに圧倒された。階級差や国の違い。エリートであった鴎外ならではの小説。小説批評家や学校では、短い言葉で述べる。”個”のヨーロッパと”家”の日本とのはざまでぶつかった鴎外の苦悩が、うかがわれる。
私は大人になった。その間に近代小説研究家にいろいろ論争が起こっていたなんて知らず。エリスまたは、エリーゼ。官費留学生で1884年に横浜港から。軍人医学生に。ライプチヒ大学で衛生学。当時のエリートちゅうのエリートだった鴎外が4年留学。
藩医の息子として生まれ、10歳から東京の学校へ。オランダ語を子供時代ドイツ語を徹底的に教育された。小説の中にある踊り子のエリスにドイツ語の間違いを諭すほどの教養ある鴎外の姿がみてとれる。少女の踊り子エリスの父親の葬儀代を日本人留学生自分の時計を売ってお金を工面したあげたところから愛がはじまる。同棲。同じ仲間からの密告。官職をとかれる。妊娠していたエリスをおいて帰るストーリーで気が狂うという物語。。
西洋女性は、残されたくらいで気が狂うほど弱くない。実話は、女性は帰国後わずか4日ご後をおって横浜港へ、一ヶ月銀座にある今の上野西洋軒のホテルに宿泊。陸軍、実家は鴎外の外国人妻としてのエリスを断固として認めなかった背景がうかがわれる。鴎外の西洋で身につけた”自我”は日本では認められない”家”そして”国家”におしつぶされた。
自由な恋愛時代になって、ささいなことで傷つき、拒否する現代の恋愛模様。ネットサーフィンのように、表面的、本物に出会えない男女達。映画の男女の感動する姿を見すぎることで、平凡な愛が愛と思えないブレインワッシュ型。階級差や国の差がない自由な恋愛ができるはずのスウェーデンに多いシングル所帯。掃除もいちおうの料理も洗濯もできるスウェーデン男性の案外孤独な姿が見えかくれする。
エリスが横浜から船でドイツへ帰国後、鴎外は日本の紹介された女性と5ヶ月後に結婚している。20ヶ月後には離婚。エリスを本当に愛していたかどうか。。という議論が批評家の間にある。
鴎外がヨーロッパへ行った1884年は、旅客飛行機もない時代。海外へは船で。同じ頃移民が盛んなスウェーデンから新しい土地をもとめオーストラリアへ船で多くの人が渡った。1884年頃の日本はこういう感じだった。
国力増強そして西洋化を急いだ政府は、優秀な人物を国費を投じドイツなどヨーロッパへ送っている。当時の人間は、日本古来の着物をきて、人力車が通りを往来していた。
わたしは、タイムトンネルのようにずっと忘れていた鴎外を思い出す。そして評論や批評などを読む内に、こういう気持ちになる。天国の鴎外先生に聞いてください。恐山のいたこの口寄せもあるし、タロットカードもある。。なんとかしりたいの。16歳の乙女心は、鴎外さまの、小説に泣いた秋。あれから、小説を読み返すこともなく時間がたった。鴎外さまにといかけたくなる。ある種の人たちが、鴎外はエリスなど実在の女性など愛していなかった。。その理由は。。を読んだ瞬間だ。
鴎外さま。どっちなのですか。どうかおっしゃってください。ねえ。エリスを愛していたんでしょう。でも辛くても心を鬼にして日本の出世の道を選んだのですよね。親友の中傷そして身の保身。別れ。。。その罪の意識が小説を書かせたのでしょう。書いたことで、気持ちがラクになったのですよね。まるで森の奥に穴をほって叫ぶみたいに。誰かに言わないといられない、苦しい自己告白だったのでしょう。
下北いたこは、ひとこと津軽弁でいうだろう。”NDA” YES。問題は解決する。イタコをファッショナブルにした美輪明宏さんへ聞いてみたくなる。
MIWA WAS ATTACKED BY NAGASAKI ATOMIC BOMBCENTER IN NAGASAKI, BUT HE WAS SAVED HIS LIFE。HE CALLS THIS AS MIRACLE。
森鴎外の舞姫のエリスを主人公は愛していたのでしょうか。そうじゃないってある近代文学批評家や研究家がいいだしております。霊の世界の鴎外さまは、なんとおっしゃっていらっしゃるのでしょう。わたくし、気になって、ねむれないのです。
”まず私が申し上げたいのは、現代の心の栄養失調のことよ。鴎外はそのあとね。”
懐かしの丹波さんもでている。うーん。不思議な世界だが。はっとさせられることも。経験から裏付けられた言葉の重さ。自己中心的ではなく、幸せに感謝する。不平や不満だらけの人は、心の栄養失調という状態。人のために尽くす自己中心ではないことの大切さ。
鴎外の事を次のようにいうだろう。
”そうね。鴎外は自分の名誉や出世のために、たしかにエリスを切り離した。文学で成功し、有名になり、家庭もできた。しかし、愛のない結婚が続かない。愛があったってだめになるのに。ないのですもの。でも、実際は、どうだったのかしらね。男の身勝手。女の身勝手。まあある意味では、本人が自分が一番可愛かったのね。だから、彼は本当に愛しているのは、自分自身で、相手を愛するのは、できないのじゃないかしら。
いいえ、やはり当時は家、国家というのがとても切り離せいことだったのです。鴎外の小説。エリスを発狂させることによって、悲劇の中心になり、同情をひくけれど。気が狂ったまま生かしておいて、小説上で末梢しなかったストーリーからは、彼自身彼女を消したくなかったのね。”
魂の世界を深く洞察するイタコと美輪さんの不思議な共通点がある。鴎外は三島と違うわ。
あーら。あなたー。愛というのはねえ、とってもとってもふかいものなのよー。あがぺーとえろす。おうがいは、えりすを16さいにしたけど、げんじつは31さいの人妻じゃないかしら。 ふたりのこもち、としうえのじょせいだったのよ。声がきこえるわ。。官費留学生の立場。国の運命を背負うのよ。今みたいにだれでもその気になったら個人で留学できる時代じゃないわ。
ドイツから追いかけてきた。。4日後に横浜港に着いている女性は裕福でお金もあったというじゃありませんか。夏のバカンスはフランスにバカンスにでかけたことも多いと言いますでしょ。文学サロンなども主催する女性ですもの。小説の中のかわいそうなエリスとちがうわ。私小説的なものはこういうところが嫌らしいのよ。読者はすぐに混乱してしまうわ。銀座5丁目のホテルで鴎外を待っていたのですもの。横浜から出発する時は、はんかちをふって気持ちの整理がついたよう。。。、お許しがでたら、二人はおそらく結婚していたでしょ。でなかったのよ。1ヶ月鴎外もいろいろ頑張ったと思うわよ。横浜の山下埠頭から船がでるときの、二人の様子を思うと泣けてくるわね。鴎外が冷たい卑劣な男だとおもわないわ。
鴎外は、実際に愛されていたのよ。。出世に目がくらんだ男という評価も後ででてくるわけね。なんとかわいそう。いいえ、100年前の日本の上流階級には今の王族が考えられない、シンデレラ姫やふつうの家の人間と王族が結婚するなどあり得なかったのですよ。民主主義が、世の中のタブーをかえてしまったのね。むかしは、ヒエラルキーはあったのよ。地主と小作人。江戸は、百姓の女性と武家の女の服や髪型は全く違うものだったの。明治に1800年後半芸者や芸伎の時代。16,7歳で新橋の芸伎は、お座敷にでて、明治時代の芸者の美人写真画として海外にも後、写真がずいぶん知れ渡った女性もまだ着物を着ていた時代よ。
わたくしが、銀パリでシャンソンを歌っていたころのね。。。三島がこう言ったわ。愛というものは。。。矛盾だらけのものだって。。批評家がおっしゃっているように、愛していたか。いや愛していなかったか。なんて。そんな表面的に、他の人間が白黒つけられないものよー。そういっている人は、本当に恋愛したことがない、本食い虫なの。お勉強ばっかりやって、あまり好きじゃないけど便利と体裁の為に結婚させてもらった受け身の人なのよ。まったくどうしてかしらね。”
と美輪さんならおっしゃりそうだ。(あくまで私の推測)村上春樹氏みたいに、批評は読まないと徹底する作家に、批評して欲しい。文学作品解釈の背景。最初、読んだ時にエリスに同情した。主人公がとても悔やんでいるようにすら16歳の時に思えた。ぼろぼろと泣いて、感受性豊かな乙女が、呼吸困難にナルくらい、悲しくなったのは、鴎外たる主人公が、エリスを心から愛していたと思っていたからだ。
森鴎外の小説は、明治時代。折しも、1800年の後半の文化はすばらしい文学芸術が花開く。当時は、外国文学を学び、原書で外国文学を読んだ人たちが、小説を書いた。坪内逍遙、森鴎外しかり。翻訳かぶれ文学とある人たちに最初揶揄され、芥川賞から落ちた現代の村上春樹もやはり外国文学に影響をうけている。
夏目漱石はイギリスにいき、ノイローゼになった。森鴎外は、、帰国。後、遠藤周作もパリの秋から冬が暗くて半分ノイローゼ気味になりそうだったと書いている。遠藤周作のフランスのエッセイをやはりまだ10代の時に読み、鬱々とした気分になった。”いかにフランスの秋がくらくて、うんぬん。”中学生がよみ、部屋でフランスの鬱々とした暗さを感じ、以来遠藤周作を読まなくなってしまった。パブロフの犬。フランスに夢を抱く乙女は、マイナス情報をシャットアウトした。
外国で暮らすのは、楽ではない。100年も前の時代。しかしながら、ドイツでは、日本政府から送られたエリートをそれなりに、受け入れる側も尊重したと推し量られる。知り合いにハイデルベルグ医大で学び卒業したスウェーデン人医師がふたりいる。彼らの話を聞くと、ドイツの医学部の師弟の関係が、スウェーデンにおける友達感覚と違うことに気がつく。今でも世界で一番幸せなドイツの医師といわれているクリーンな労働環境や待遇など気になるところだ。
スウェーデンは、国が貧しい時代で、1800年半ばからアメリカやオーストラリア、ニュージーランドへ人口の3分の1も移住した。北米はウイスコンシンなど北欧に似た寒い場所を好んだ。移住者がどの港からどの船に乗ったかは、記録に残っている。ニュージーランドなどでも、入国記録が記録され資料がある。案外若い移民者独り者男性20前後が多いのに驚いたのは、古本屋で立ち読みをしたときのその手の本資料から。
スウェーデン人が海外に移民として苦労した布石が現在移民政策に大きく影響している。対称的なデンマークの移民政策の最近の動向が移民締めだし。デンマークのFOLKPATIETの政治的影響が強いといわれるニュースが昨日テレビで流された。この流れがスウェーデンにどういう影響を与えるか、観察したいところである。
(解説:デンマークの移民対策の方向性が、間違ったナショナリズムであるならば、EU諸国によって是正されなければならない。デンマークは、増えすぎる移民を受け入れる国土と気持ちがなさそうだ。EU以外のカップル移民には厳しい。)鴎外がドイツに来た頃、日本食は手にいる術もない。すし、しょうゆ、みそもあんこもなし。タイ料理も誰もしらなかった。1800年代後半、ヨーロッパは階級世界そして日本も。
森鴎外が舞姫で描こうとしたのは、愛に対する矛盾葛藤、うしろめたさ。。。後ろ髪ひかれつつ。懺悔の気持ちと過ぎてしまったことへの甘美かつ辛い思いで。エリスの外国船の甲板でハンカチをふる映像はきっと一生鴎外の頭から離れなかったはずである。100年前、ヨーロッパに多くの人間を送り日本の近代化に努めた。ギャップは大きかっただろう。ヨーロッパが本当のヨーロッパだった時代。鴎外は、若い日々をどんな気持ちでドイツの街を歩いていたのだろう。スウェーデンの街を歩くわたしは、鴎外の当時の気持ちに思いをはせてみる。
古ぼけた映画で観たような100年前のヨーロッパ
100年で生活が変ってしまった。鴎外が現代に生きていたら。建物だけがそっくりそのままあるヨーロッパ。そしてストックホルムの街。旧市街GAMLA STAN.ガムラスタン。17,18,19世紀にタイムトリップする石畳の街。鴎外の舞姫を読んでみよう。旧市街ガムラスタンの古いカフェに座って。鴎外の気持ちが100年たって伝わってくるかもしれない。
恐れ山のイタコ。ガムラスタンの古い石畳の通り。鴎外の魂を呼ぶ津軽三味線。恐レ山イタコのくちよせには、
Tsugaru shamisen by Kaoru Osanai.
津軽三味線。伝統的手法は、おさないかおる氏のシンプルな弾き方がお好み。
”おうがいさん、おうがいさん!”
”エリスのこと、鴎外ほんとに愛してTANO-kashite?”(Did OUGAI LOVE ELICE TRULLY?"-maybe he did not love her?(FEMALE ITAKOWORD)
”エリスのこと、鴎外ほんとに愛していDAN-dabe?(Did Ougai love EliceTRULLY?-more positively (MALE ITAKO WORD)
”UNDAA。(Yes。SURELY)。
”NDA-BYON。(YES PERHAPSーpronounciation just like -french way)
愛していDABESSA。(HE did love her,didn't he?more surely)
WAIHAAA !(oh my god!ーsurprising expression, in swedishOIDO! french Oh la la!)
Don-dakkya.-nOo!(How should I accept this ?WHY that was like that?)
参照
現代OXFORD津軽弁(Tsugaru-ben)LANGUAGE DICTIONARY(発売永久未定)
そして、わたしは、ガムラスタンのGAMLA STAN旧市街の18世紀の建物のカフェで。鴎外の本を開いて涙がぽろり。秋の空を見上げる。ヴィヨロンの秋のため息の夜に深し。。いや、ヴィヨロンのかわりに、イタコの音楽が流れてきそうだ。
必死に暗唱したフランスの美しいわたしの一番大好きだった詩。後大學でフランス語のベルレーヌ研究ゼミで、仏文の先生が、この詩を読みながら、声が震えていた。感動は何度でも与えるもの。時代を超えて生きていく優れた文学たち。ヴィヨロンの秋の日のため息に、げに
われは、落ちぶれてここかしこ舞い落ちる落ち葉かな。ポールベルレーヌや、ボードレール、ヘッセやハイムやアランポー詩集を文庫版で買いもとめた10代のころ、すぐに感動して泣いてしまう。ヘッセの河を流されていく詩では、歯医者さんの待合室で、きゅうに悲しくなって胸が辛くなり、ぽろっと。10代は心がガラス細工のように繊細な時期。感受性は豊かだが、経験のない頭ばかり大きい時代。
まだ恋もよく分からないときに、せっせと読んだ。ヴィヨロンの秋上田敏の海潮音に衝撃をうけ、詩を万年筆にインク瓶を買ってきて、きれいな便せんにうつし、持ってあるいたり、机の前にはっておいたりしたもの。誰にも経験がある時期。いわゆる気分は自分勝手に文学少女。ソルジェニツイーンのガン病棟やドフトエスキーを読んだが、あの年頃では理解できない内容。細雪や山月記など手当たり次第に読んだ13,14そして15歳。イプセン人形の家岩波文庫は父の古いアンテイックの小さな書棚に並んであった。かぜで学校を休んで横になっていたら、目につく。名前が面白そうと思って手に取ったが、小学校6年生の女の子には自立にめざめていく女性の姿は実感として理解できなかった。読み直したい名作はあるもの。
ポールベルレーヌの詩は、中学校一年生に、感動した詩。上田敏訳海潮音は、明治らしい日本語。、鴎外も上田敏も19世紀から20世紀初頭の頃の日本語の美しかったこと。ポールベルレーヌは、上田敏訳でなkれば、ぴんとこない。堀口大學も訳が現代すぎる。金子光晴訳は新しい日本語。もちろん、今ならまた違う。古い方がベルレーヌらしい。文学は折々の言葉で書くことで、時代が映し出される。海外翻訳の限界は、永遠になくならない。ボードレール、ベルレーヌと19世紀末は、当時のエリート上級クラス鴎外もいい時代にヨーロッパにいたものである。秋の日に、100年前に使っていた日本語を味わいたいと思う今日この頃。
鴎外が亡くなる前にエリスの手紙と写真を焼かせたという。文通は続いていたというのに、驚いた。どうしてエリスなどを愛していないという勝手な解釈がでてくるのだろう。証拠はないのだ。
外はずっと心に思いを残していたー愛の存在はあったのだろうと女性らしく解釈する。自分と一緒に思い出をあの世へ持って行きたかったのだろう。センチメンタリズムな鴎外。16歳に読んだ時の印象は、今もかわらないが、やはりじっくりとこの秋読んでみよう。
100年前の日本語の文語の響きは、わたしが、一番愛する日本語の響きだ。もし日本文学が美しいならば、源氏物語や、枕草子などの感性を感じるまでもない。感性の美しさと言語のもつ言葉の響き言霊の美しさはまた別物だが、言語のもつセクシーさをわたしは明治時代文学から感じてしまうのだ。鴎外が今の渋谷の高校生の早口の日本語を聞いたら、理解ができるのだろうか。ふと思うと面白い。横浜駅まででかけていった当時の東海道線。山下桟橋。横浜もやはり文学者の愛の舞台になったのは、北原白秋のグランドホテルだけではないと知る。コーヒーが美味しく感じられる瞬間。
16歳のエリスと同じ少女の頃にこの小説を読んだからこそ、あんなに泣いてしまった。。鴎外が過ごしたドイツの4年間を思う。もう一度小説を大人になった自分がどういうふうに思うかが楽しみでもある。小説は映画と同じく、同じ小説でも、時間がたって読むと急にいろいろなことが新しく分かってくる。年を少しずつとることは、素敵なことなのだ。鴎外の過ごしたドイツの下宿の部屋や鴎外のハンサムな時代の写真が載っているのがいい。
http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200703030197.html
記事は、書いた人の主観がはいるので、ひとつの記事に書かれてあることが、すべて本当だと私自BA8Dわないことにしている。研究家は24時間365日トイレの中でも道をあるいてもエリスと鴎外の事を思っているだろう。
また、共感する鴎外の舞姫に関するエッセイもたまたまみつけた。参考にされたし。私自身の主観は次のエッセイと似ている。そして短いが、要を得ている(Nyfikenとは反対。)
http://www.obpen.com/modules/smartsection/item.php?itemid=359
夏のバカンスにいつも出かけたエリスのモデル。。裕福な本来の姿。森を富豪だと思っていたという。また恩師の家族のメンバーというが、鴎外を擁護する人、人間性に疑問を持つ人。それぞれ論争は続く。私小説ではないという。ではなんというのだろうか。私小説的というのだろうか。
4年間の留学期間、鴎外も、ドイツの街をあるき、日本人としてヨーロッパ19世紀末をしっかりみて、ドイツ人教官を通じて知り合った親戚のドイツの夫人によくしてもらったという事実。しそのお世話になった相手が情人エリーゼ。サバイバルで、生き方が上手な鴎外の姿それとも流されやすい鴎外の気質。恋愛は自由だが結婚はできなかったヨーロッパ人の当時の様子は、ゴールズワージーの林檎アップルツリーのデイレンマにとても似ている。当時の恋愛小説のひとつのパターンとしてもみえる。階級差。そしてそれが、後アメリカのDHロレンスによる衝撃的な小説へつながっていく。
苦悩の小説は、声をだして最初泣いた乙女の心。海外にたくさんだされた写真に色をつけた日本の芸者の写真のモデルは現役の芸伎さんたち。16,17とあどけない。16歳のエリセそして高校の教室で泣いたあのころの私16歳。そして明治の鴎外の時代に東京の芸者美人投票100人に選ばれた16歳の芸伎。をふとかさねてかんがえる。
鴎外は、案外スマートに生きたが、本当の気持ちは、本人のみ知ること。苦悩を描くことで、エリスへの懺悔と後ろめたい気持ちを払拭したものだとするといいのだが。
鴎外の舞姫は日本語の原文で読まないと魅力が半減する。言葉を現代語訳にした瞬間に日本語文語の美しい小説の魅力は損なわれる。多言語に翻訳された場合、どんなにいい訳であっても、上質の日本茶にミルクと砂糖をたっぷりいれていただくこととなる。レモン添えで。といっても日本人にとっても文語をよむのは容易ではない。高校の頃は文語の手引きの辞書を見ながら読んだ記憶がある。秋には、フランスのポールベルレーヌもレトロに明治期の上田敏が訳した海潮音も味わいたい。もちろんシャンソン。森鴎外の舞姫を読みながら聞きたい音楽は、津軽三味線よりチェロ。ピアソラと一緒にチェロ奏者のYOYOMAのLIBERTANGOがぴったりと鴎外の人生ドラマにあいそうだ。