スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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スウェーデンのクリスマスのお料理がレストランでいうジュルボード(スウェーデンスタイルのクリスマスビュッフェ)今はたけなわのこのごろ。ミートボール。鮭のお料理。ニシンの酢つけやマスタードつけなど数種類。いろいろなハム。スモークサーモンに甘い酢とデルの味がするグラバラックス。なくてはならないお米のシナモンが入ったミルクの甘く煮たもの。もちろん最初はスパイスのはいったグロッグ。わたしの好きなとてもスウェーデンらしいクリスマスデイナーは、ストックホルムのハガーパーケンの湖に面した古い伝統的なホテルの中のレストラン。お料理、ムードともに最高です。

24日のお昼までは、おみせやレストランも開いていますが、イブの夜は家族で静かに過ごすのがこちらの習慣。セブンイレブンは夕方くらいにしまいますが、今年は、どうなるのでしょう。

今は本当に暗い時なので、窓辺にさげた大きな星がめだちます(白や赤の紙でできたヒトデの形をした星形のランプ)、窓の下には、ろうそくの形のランプが置かれているのが外からみえます。アパートのあちこちから、週末の、クリスマス用のクッキーやお菓子を焼くスパイスのきいたいい香りが漂ってきます。アマリリスのお花は、赤いポイントセチア以上に愛されるクリスマスのお花。窓辺においている人が多いようです。まだお花が咲かないうちに買っておくと温かい室内でぐんぐんとのびて、赤い大きなお花は、暗いスウェーデンの室内では、ぱっと気持ちを明るくしてくれます。白もありますが、赤の方がポピュラー。スーパーでは、サンタさんがちょこんとのっかっているクリスマスのお花ミニミニ寄せ植えが売れられています。

赤い甘いスパイスのワイングロッグはちいさなとってのついたカップ(ガラス、陶器いろいろあり)で飲むのが伝統できですが、中にちょっとほしぶどうとアーモンドをいれておいて、ちょっと温めたグロッグを薄いペッパーカッカ(スパイスシナモン、ジンジャー、クローブあるいは、カルダモン)のきいた薄型のクッキー)といっしょにいただきます。お料理の本に作り方はたくさん書いていますが、お店でボトルごと売っていて簡単なので、そちらを利用する人も多いと思います。スウェーデン語ではPepparkakor,英語では、Ginger snapsとでも訳したらいいのでしょうか。

ノルウェー産のグロッグのボトルは雰囲気があって好感がもてます。ペッパーカッカのクッキーはそのたねが売ってあって、のばして焼くだけというのが出回っています。共稼ぎが多いので上手に利用するのもいい案ですね。

先日クリスマス前にパニックになっている主婦を皮肉とユーモアをこめて、インタビューをまぜてイギリスのテレビ局のドキュメンタリーが面白かったのです。”たくさんでているお料理の本。どうやったらクリスマスデイナーが成功するかって?私たちは、あんなお料理研究家のスーパーヒーローがテレビでやっているようには、ローストのターキーなんてつくれないわ。”それに家をかざるのだって、大変。ギリの母親が田舎からでてきて、窓枠や階段の上のほこりに指をあててチェックするし。ああ。クリスマスなんてもういや!!”といった正直な主婦の声をだしていました。主婦はどこも似たようなものですね。

クリスマスデイナーもすべてスキップして、南の国のビーチで寝ころぶほうがいい。というスウェーデン人もたくさんいるかもしれません。キプロスやギリシャ、タイなど温かい国へ、続続とお出かけしていくのが年末。寒さはもういやという人たちがいる一方で、北欧のクリスマスほど、それを楽しみにしているスウェーデン人の気持ちは、説明のしようがありませんが、日ごとに高まるクリスマスへの楽しみな期待感は、子供だけでなく大人も同じ。都会のひとり暮らしの多いスウェーデンでは、田舎に帰らない人たちもいるはずです。クリスマスイブの夜ストックホルムは、日本のお正月の都市の閑散とした感じににているようです。

クリスマス休暇前は、中央駅は混み合うようです。国の中央駅や空港は、旅に出る前の人々の期待感や旅をしている人達の動いている感じががあります。家族や友人と再会することへの楽しみ。いろいろなドラマがありますね。駅や空港には。

わたしは、時々中央駅に行って、あわただしく旅にでる前の人が集まる中央駅の本屋のポケットブックショップをチェックします。小さな空間ですが、本当にスウェーデン人が旅の途中で読む本などがコンパクトに選ばれて売られているのと、ポケットブックの本屋さんの人のコメントが貼ってあって、この本はお薦め。といったのがなかなか参考になります。ただし、今の季節、ヨーロッパのいろいろな国からすり集団があつまって来るので、注意!お金持ちの集まる高級ホテルのロビー、高級店などには、毛皮を着て、お金持ちに装ったすりが女性や子供を含めているので、注意ということです。


新聞にある会社のクリスマス新年の挨拶広告がでていました。

静かな、心安らかな、気持ちのいいクリスマス休暇をすごされますように。

God Jul  och 
Gott Nytt År!

by nyfiken | 2007-12-16 10:10
スウェーデンの民放4チャンネルのテレビで授賞式から晩餐会が生中継されました。晩餐会が行なわれた市庁舎は上部ブルーにライトアップされ、我が家のアパートの部屋からも,遠くに見えきれいでした。多くのスウェーデン人がまるで日本人が紅白歌合戦を視るように楽しみにしてテレビを視たはずです。

 平和賞のノルウェーオスロからも中継が入りました。元ゴア副大統領は奥様や応援者の女優イルマ?もかけつけて、花を添えていました。アメリカの女優のオーラはすごいものです。宝石をつけていなくても、とてもすてきなドレスとプロポーション、美しさが画面を超えて伝わってきました。まさにきらきら光る宝石のようです。ドレスの胸もとのあきのカットが美しく形のいい胸がちらりとみえておりましたが、下品にならず、今夜みたドレスのなかで、本人の美しさもさることながら、とても印象に残りました。旬の女性の美しさは、旬の花の美しさに通じます。内面からの美しさもカメラはとらえていたと思います。美しさや内面からでてくる魅力は、人を引きつけるものです。

 ゴア副大統領は、ブッシュとの選挙で、最後コンピュータの故障?とか少々理解に苦しむ理由で、もう一度やりなおしして負け、多くのアメリカのインテリ層ががっくりしたのはもう昔のこと。その悔しさを思うと、今日の受賞式は意味のあることだったはずです。勝負というのは、本当に長い間時間がたってみないとわからないものですね。あきらめずに、長く信じることを一喜一憂せずやり続けることは、とても大切なことかもしれません。まさに継続は力なり。また、見る人は、陰ながら見ているものです。

 世の中を動かす上に、きちんとした正しい政治的な働きかけの大切さを感じました。きちんとした良心をもった、政治家が活躍することは、世の中を正しい方向に導きますが、ある国のように本当は外からみたら、絶対正しい政治家が幽閉されている国に、海外が国民ひとりひとりに行き届かない援助を続け、政権を見て見ぬふりしているのは、どういうものなのでしょうか。国の名前ひとつとっても、どういう呼び方をしているかで、そこの国に対する姿勢が見えてきます。

今年のノーベル晩餐の一番の注目は、テーブルお花のブーケの盛り花。テレビでみても、飾り付けがとても好かった。今年のテーマは、ケーキのようなお菓子のような盛り方でした。アイスクリームやアイスクリームケーキを彷彿させるような。夢を感じさせるお花のブーケ。お花がおいしそうに見えるなんて。可愛い。芸術的なセンスは、単にお花のアレンジメントの型にはまったものではなく、絵をみるような。。

足台のあるケーキ台のうえに、おいしそうなおかしのようにこんもりと丸く盛られたり、タルトの形をしたり。デザインを手がけた男性はスウェーデン人のフラワーデザイナーGUNNAR KAJ。1600年代の古いアパートの一室。ガムラスタンの台所のテーブルのアトリエで一つひとつ手作りのアレンジメントの場面もテレビに映っていました。年代もののシャンデリアが美しいアトリエにあった壁の白をベースにしたランプのシェードがすてきでした。お花がおいしそうで、生き生きしていました。

毎年新しいものにチャレンジしているように見えます。すべてのお花は最後にノーベルが息を引きとって亡くなったイタリアのサンレモから届きます。10000本のお花を30人のスタッフと一緒に会場に全部を彩るわけですから大変な作業です。

彼は、芸術家、造形家は、画家といったふうであります。今回が8回目、50才。22才の時に、最初にストックホルムに色彩学と造形を勉強に。フラワーアレンジメントの専門家になるために勉強をした人ではなく、イラストレータとして生活していた日々にある日突然2000年にお花のアレンジメントの依頼が。型にはまらず、タブーというものにもそれを知ることなく果敢に挑戦していく。人々の目を芸術的に楽しませてくれるのは、そういった自由な発想や純粋な芸術的な才能からだと確信するようなお花でした。

街の新聞VASASTAN紙のルポルタージュより。

グンナー氏のお花に対するコメント:私たちは、言葉で言い表せないことを、生きたお花に託します。悲しみ、愛、喜び。。。人は、生きたお花は気持ちを伝えますが、絵に描いたお花では、本物の気持ちをなかなか伝えられないのではないでしょうか。

ノーベルは、多くの言語を操るひとでした。イタリア語もぺらぺらだったそうです。最後息を引き取る時はは、だれひとりスウェーデン人はいないイタリアの病院で、スウェーデン語しか話さなかったそうです。偉いのは、本人の意志をひき次いで、今日まで膨大な財産の管理と最大限に活用しているコミッテイの人、スウェーデン人の魂だと思います。のど元過ぎても熱さを忘れない北の大地のスウェーデン人は、volvoを生み出した人達ですね。


ダンスは夜通し朝近くまで続くでしょうから、その後のお花は、近くのホームレスの人たちにいきますように。市庁舎の外のたき火の近くでアコーデオンをひいていたおじさんが映像にちらりとうつりましたが、今日は稼ぎ時なのかもしれません。ホームレスや孤独な人が、いろいろな形で恩恵がまわりますように。

今年の女王の真っ赤なドレスは去年の白のドレスと同じくドレープをいかして女性らしいフォームです。年代ものの王冠や宝石が一番美しく見えるドレスが主張しすぎず、豪華絢爛なダイアの宝石が一段と光り輝くドレスと思いました。格式があり、年相応の貫禄と品格が光るドレス。昨年のは白で、第一印象は、地味と思いましたが、やはり高価なダイアの宝石が美しくみえるドレスというコンセプト?(間違っていたらごめんなさい。)を感じ取りましたが。

日本のデザイナーの見えないところに細かい細工や行き届いた着やすいドレス。すてきだと思います。女性らしいフォルムと柔らかい生地のドレープ?そでのカーブのフォルムがちゃんと計算されていて、関心します。本物の大人の女性でなければ、着こなせないまさに女王にふさわしいドレスではないでしょうか。

日本の着物はそのものが豪華ですから、宝石をぎらぎらつけないのですが、ドレスは、あのきらびやかなテイアラのダイヤのきらめきを、台無しにしても、競争してもだめなのでしょう。そこをしっかりデザイナーは計算し、どういった宝石がそのドレスと一体になってバランスよく、豪華に上品に仕上げたのだと思います。

去年は、娘達のプリンセスが主役になるような目立つドレスだったので、白いドレスは、年齢を表す結果になってしまったような。今年は二人のプリンセスともシックに控えめなダークな色使いでした。やはり女王様健在の今、若いプリンセスが目立ちすぎるのは、?と考えたかどうか。若い時は若さだけで美しいもの。結論として、王妃の赤ドレスはとても似合っていました。ネックレスも大ぶりのクロスのダイアでモダンな感じを受けました。さすがです。

ノーベル賞の晩餐パーテイのドレスは、スウェーデンのマスメデイアも関心があり、テレビでコメントをするのですが、たくさん美しい女性たちの中で、フランスの大使夫人のバンテイージのドレスがちらり話題になっていました。おしゃれの達人でなければ、決して着こなせない色、デザインでした。決して下品にならない、あの着こなしは、関心したものです。

テレビの司会の女性の、薄藤色のドレスがまたヴァンテージに手を加えたもので、とてもおしゃれでした。今、まさにインテリアや、洋服の旬の色、うすい藤色ベルベット色。すこしピンク色がはいっていて、甘さと辛さのバランスのいい色です。渋くて、甘くて、ピンクとも薄いバイオレット色とも藤色。がぴったりきます。

男性では、フランス人ノーベル受賞者のスピーチが、スウェーデン人のとても喜ぶ映画監督バールマンの映画の白黒のコンストラクションに研究上何らかのインスピレーションを受けたことなどを織り込んだスピーチがよかったと思います。やはりフランス人の男性は、研究者でも(この表現は失礼ですが。)どうしてあのような男性としての色気が(ちょっとイタリア系アルパチーノに通じる?)あるのでしょうか。それはフランス語、フランス文化?が男女ともあのような雰囲気にさせるのでしょうか。関心しました。フランス人男性や女性が一般に持つあの雰囲気が、とてもシックだと思います。

晩餐会後のダンスは、堅苦しいものではなく、受賞者が喜ぶような60年代70年代の音楽をもりこんだバンドが演奏し歌手が歌う中、政治家、首相、大臣、大使、受賞者や家族、研究者、学生や著名人などが楽しく踊っていました。

テレビで、どういうお酒が受賞者にバーでだされるか、見せていましたが、シャンペンやアブソリュートウオッカ、ジン、コニャック、ジャックダニエルやウイスキーの横に、xantという甘いリキュールのお酒があるのに注目。

厨房で最後仕事が終わってシャンペンが働く料理人達に振る舞われましたが、ご近所のお菓子屋さんxokoのマグヌスも最後にデザート総責任者として、コック長と一緒にテレビに紹介されて、おつかれさまとシャンパンを振る舞われていました。闘い終わってほっとした雰囲気が厨房からの映像で伺われました。毎年よくがんばっていいが、ことしのはとてもよかった。とカメラ前で現場の責任者が言ったときに、若い厨房で働くスタッフ全員が、疲れた顔の中に、目が潤んだ一瞬の表情が印象的でした。

ものすごい数の裏方、大きなお盆にたくさん飲み物をのせて階段を降りてきてひとりひとりサーブする人達は、いつもながら関心します。護衛、ガード。事務方。警察官。。洗い場。

一年間この日のために準備してきた人たち。計画、遂行、コントロールをきっちりとすることを教育されるスウェーデン人ならではの年行事。表に出ない、ドレスを作る人。メダルをつくる職人さん。宝石デザイナー、大工さん、掃除夫の人。ひとりひとりが誇りをもって、それぞれの仕事を遂行してあのようなセレモニーが完成するのだなあとテレビの画面をみながら、ふと思いました。

受賞者の挨拶も、医学賞の挨拶の”いろいろな人の支えがあってこそ今日の自分がある。学校で最初に数学を教えた先生から、飛行機の操縦を50の手習いで教えてくれた先生など人生のそれぞれの恩師に対する温情と感謝の気持ち。妻や家族へのねぎらいと感謝。が現れていました。

いろいろな人生の局面をみせてくれたのも受賞晩餐会のテレビ中継でした。アメリカの経済学者の娘さんが、一緒に出席したお友達と一緒に、インタビューで無邪気に答えていたのは、とても子供らしくて、素直に驚き喜びの家族の一面を映し出していました。”お父様がノーベル賞を受賞して、どうですか。”に実感がわかなくて、びっくりしている様子でしたが、え、あのパパがノーベル賞をいただいたの!パパは数学なんてよくわからないはずなのに。その無邪気な答えが面白かったものです。学校の数学の問題をパパにきいて、忙しい父親は、わからないといったかもしれません。とかってに想像していました。

最後にひとりの受賞者が、挨拶の中で、いろいろな困難と思われる難しいものも、知識を得ることでその困難に打ち勝つことができるようなニュアンス(テレビで一瞬きいただけなので、正しくは本人のノーベル受賞の挨拶文を参照されたし。を語っていた。とかく知識を得ても。。。とか知識だけじゃね。とかこれを知ってどうするわけ?と知識を得る前に、否定的な考えで怠けがちな自分の頭を金槌でがつんとなぐられた一言でした。

ほとんどの人が一番楽しみにしている文学賞受賞者イギリス人女流作家のスピーチは、本人の欠席のためなし。1960年代は若かった彼女は、高齢と腰痛のため欠席。自宅インタビューをみながら、女流作家(東洋西洋問わず)に共通している、例えばフランスのレマン(愛人)を書いた作家デュラスや日本の中年以降の女流作家に通じるものを感じる。一枚皮を剥いだあるいは自らをさらけだした人間だけが持ちうる、どっしりとした女性の強さを感じるのは私の誤解だろうか。ストックホルムの国立図書館には、作品が特別コーナーを設けて受賞後並べられ関心の高さが感じられます。



今日のストックホルムは、雪もなく12月にしては、例年に比べて温かい日となりました。雨が小降りで朝方ふっていましたが。街は普段の通り、クリスマスまえのにぎわい。受賞者宿泊先のグランドホテルは、ノーベル受賞特別のコーナーを設けています。右手側のバーは関係者でにぎわっています。座るところが無いときは、ピアノの周りにあるいすか、もしくは、カウンターで飲み物を頼んで、ロビーを横切って左の方の応接いすがあるほうに持って行くしかありません。

ノーベルコンサートは、昨年はヨーヨーマでした、あまりのオーラ(ヨーヨーマのスーパーパワー、聴衆者の人生の果実を手に入れた受賞者たちと家族の喜びのオーラ、後ろの壇には王女様の光輝くオーラ)に圧倒されました。今年は、天才ランランのピアノコンサートになるそうです。今パワーのある中国や中国人の選ばれた天才達のパワーとオーラは本当に、すごいものです。中国人パワーはどこから来るのでしょう。あの食べ物なのでしょうか?
by nyfiken | 2007-12-11 10:48

multi kult のビーツスープ

ストックホルムの観光で有名なガムラスタン市街から橋を渡って地下鉄スルッセン駅からヨーテがータン通りを歩いていくと右手にお化粧品のFACEのお店がある。そこから右に入ってブテックそしてその隣が、お気に入りのお店。世界のいろいろなCDがおいてあるマルテイカルテイ。日本語ならさしずめマルチカルチャーといった意味合いなのでしょうか。

パプアニューギニア発の音楽(幼少を両親の仕事の関係でパプアで過ごした有名なギタリストがパプアに戻って地元のバンドと一緒にだしたCD.DVDがついているので、パプアを知りたい人にお勧め。)

旧ユーゴからパリにわたってシアターで活躍しているバルカンのグループ。ジプシーの音楽、イタリアなど。第三国から渡ってきて、ヨーロッパの各地で活躍しているいろいろな国の人の音楽がヨーロッパのエッセンスを取り込み、まさに民族音楽のジャンルを超えている。ベトナム人のパリのエッセンスを取り込んだ音楽。ニューヨークのチリ人租界で活躍している女性歌手。

ボスニアのジプシー音楽の有名な女性歌手が、戦争のためドイツに渡って、生活のために掃除夫として働き歌うことを忘れていたのが、請われて長い沈黙の後、歌うことに。活動再開したCD。いろいろな人生模様がみえてくるのも、面白い。マイナーな質のいい民族のアイデンテイを確実にもっている。民族音楽にありがちな暗さや重さをあまり感じさせないヨーロッパのエッセンスを取り込んだ新しい形の民族音楽の形も見えてくる。


オーナーの世界にはりだしたアンテナの高さが感じられます。

お店の中で喫茶店みたいにコーヒーと簡単な食事ができる。学生街の喫茶店みたいに気楽な感じが気に入っている。気取りがなくて、格好をつけていない。おばさんもおじさんも若い学生も、仕事や学校の帰りぶらりとよって、好きな音楽を探す。この手のおたくっぽいお店が存在するのがうれしい。

今週のドクターマルテイカルテイのオススメのボードも見てみましょう。視聴ができるけれど、時々おばちゃんがどっかりと陣取っているときは、遠慮しないで。いすは3個あるけれど、2つのイヤホンがあってきけます。今オススメのお店です。

昔のストックホルムのほとんどのレコード屋さんは視聴ができるのがよかったけれど、最近では大きなお店が、視聴をしなくなりつつある。今やインターネットで音楽を簡単にダウンロードできる時代になり、CDよりDVDのコーナーが充実しつつあるこの時代。オーナーのセンスや感性あるいはアンテナの高さや鋭さがより求められる時。またお店でのタンゴのレッスン(夕方より)も興味のある人にはお勧め。

ビーツスープがとてもおいしい。お値段もお手頃。おいしいパンとオリジナルフェタチーズクリーム添えがついてくる。きれいな真っ赤な(ビロード色)の美しいスープは、心も体も温かく、そして元気にしてくれる。ビーツスープは、単純にビーツだけなのだが、食感、中にはいっているぴりりとした香辛料。至福の極上のベルベットのようなスープ。そこでは、ワインはおいていないけれど、少しお酒が欲しい場合は、ビールでなくシードルを飲むのがおすすめ。


そこで、見つけたわたしのマイCDコレクションより。

イタリア:Gianmaria Testa ”extra-muros"シンプルな弾き語りの中にわびさびが感じられる。ブルースとも。現代の売らんかなが先にくるマスプロダクションと正反対の曲作りの姿勢。イタリア人の悲哀やメランコリー。魂にふれる音楽。

バルカン:フランスで活躍するDarko Rundek&Cargo Orkestar"La Comedie des Sens"詩人、Darko クロアチアのザグレブからパリへ。歌手俳優、劇場監督。バルカンとパリのエッセンスの融合。まるでシアターで劇をみているような感覚の音楽。雰囲気がある。バルカンというとけたたましいブラスバンドの音がすぐ思い出させるが、パリで磨かれた感性は、この作品にもたっぷりと表れている。イマジネーションを喚起させるCD。大きなカーゴ船にのって、世界を旅するといったコンセプトなのだが、芳醇な赤ワインをパリの酒場の片隅で飲みながら、異邦人として旅ゆく人たちをながめているような雰囲気がある。日本の演劇にかかわる人に、聞いて欲しい一枚。劇中に使えるような音楽でもある。www.piranha.de
ドイツベルリンのレコード会社から発売


Mostar sevdah reunion and ljiljana buttler "The legends of Life"
表紙の絵やデザインが気に入ったCD.デザイナーのセンスが抜群。絵本のようなCD.
そのほかに買ってはいないけれど、ジプシー音楽のエッセンスが感じられるバルカンの若手の歌手、ボスニア出身のAmira ”ROSE”は詩が美しい。オススメの一枚。
このCDの情報は、www.snailrecords.comでもチェックができる。
by nyfiken | 2007-12-09 22:44

Karin Alvetegen

北欧ミステリーのクイーンとまで言われるカリンアルヴテーゲンは世界22国以上で翻訳されている。日本語訳、英語訳の助けを借りて参照して辞書を横にスウェーデン語オリジナルやっとのことで読み終えたが、スウェーデンに住んでいないと地名やその雰囲気がよくわからないところがたくさんあるのではないかと思う。しかしながら、イギリスでのテレビ放映など、地名をすべてイギリスに設定し直していることについて、作者のコメントは、あまりそういった部分にはこだわらないとしている。

ストックホルムの中心を舞台にしたSAKNADは日本語では、喪失であるが。隠れ場所としてのソフィア周辺のソフィア学校あるいは、途中でてくるソフィア教会などセーデルマルム地区の公園などその雰囲気は、おそらくストックホルムを散歩してみないと伝わらないかもしれない。

今はソーホーとよばれておしゃれなブテックやしゃれたカフェ、レストランがならび、またスウェーデンの女優やモデル御用達のヴァンテージの有名なお店がある。若者や芸術家あるいは、演劇学校、ダンス学校の生徒が闊歩するカルチャー度の高い地区である。もともと労働者階級が住む(グレタガルボの育った家は、今では小学校、中学校、高校の校舎になっている)地域であった。今でもその公園には、時々アル中のひとたちの人たちが、お酒をのんでいる姿をみつける。

スウェーデンのサイトやブログにあるいは、ドイツ、デンマークやノルウェーなどのサイトにたくさん彼女の小説に対するコメントがのっている。もちろん日本でのブログにも、喪失を読んだ読者のコメントがあり、興味深い。

テーマの底辺には、世間のアウトサイダー、ホームレスとなる人たちの、どうしてそういうふうになったのか。ならざるおえないのか。社会福祉のもとで、施設にはいってたらいいのに?という税金を払っている側の論理では、理解できないかもしれないが、人間の生きる権利にふれている。わずかばかりのぎりぎりのお金をもらって、最低の食べる、寝るそして体を洗う。そういったこととひきかえに、自由に、自分の思ったように、生きる最低の自由が剥奪される。

わたしは、段ボールの箱の家に住む東京の都庁にいく途中にたくさん住んでいた(今はそこから他のところにたちのかされている)ホームレスのひとが、くつをそろえて、きちんと向きをかえ、またほうきとちりさらいをそばにおいてあったのを今でも忘れない。母親がきちんとしつけをしたのだとおもうが、何rなかの事情でそういった生活をせざるおえない、孤独な人たち。

 寒い北欧のこごえる寒空のもと家のない孤独なホームレスのひとたち。その背景には、家族、両親のもんだい。人間のエゴイズム。肉体の愛や外見だけにとらわれる人間たち。本当の愛とは?作者が、山で事故死した兄の死後、2人目の子供の出産の時から、鬱病で苦しみ、その苦しみの中から書くことによって、乗り越えられたそういった背景も、作品からよみとれる。

主人公は、もともと金持ちのお嬢さんとして生まれ育ったお嬢さんが、世間体ばかり気にする母親が、子供をコントロールし、それに対して反発していく。(主人公の母親は高級住宅地のストックホルムのオステルマルム地区で生まれ育ったが、地方の成金と結婚することに。しかしならが、がんとして母親の祖母やおばは、地方の新興成金を認めない。しまいには、あなたの娘は、スモーランドの労働者でも話さないような訛りの強いスウェーデン語を話して、オステルマルムの我々の使うスウェーデン語とは違うから、いとこどうし話が通じないわというニュアンスのことまでいう。それを聞いて、二度とオステルマルムの祖母の家を訪れない主人公。母親ひとりでストックホルムにでかけていく。演劇やオペラなどおばや祖母と連れだって歩く母親像。)保守的なスウェーデンの側面がちらりと見える。

エゴイストで見栄っ張りな母親の落とす影響は大きい。最後は、父親の死後、娘を捜し出さず、さっさと死亡届けをだして、財産をすべて自分のものにしようという母親は、ちょっと極端に描かれているが、個人主義の強いヨーロッパではあながちそういうことがないともいえない。個人の権利主義。国際結婚で、失敗する日本人女性の多くには、そこの理解の甘さがないとはいえない様な気がする。難しい問題である。

社会主義の平等な社会を目指すスウェーデンでは、学校教育のもとで、差別はいけないとさんざん教えられる。しかしながら、底辺には、やはりこういった差別は今でも存在することは確かなのではないだろうか。私個人はあまり感じないが、スウェーデン人同士にはまたそれなりの階級意識があるのかもしれない。それは、ヨーロッパという古いシステムのある国は、成金でも金持ちや成功者ををあがめる資本主義の徹底したアメリカ型とは違うのかもしれない。スウェーデンでは、まじめに働いて生活してきたものは、税金は高いがあまり貧富の差がないようなシステムがあるように思うが。

スウェーデンにおける階級差は社会主義思想の間であまり表面にでてこないが、お城がいろいろな地方にあったことを考えると、今でもそういった階級は日本以上に存在することは確かである。)仕事に忙しい父親。また本当の愛と思った最初の愛は、親の反対を押し切って、懐に飛び込もうとしたのに、数ヶ月あえない間にもう別な女性ができていた、別人になった特別な人。子供をみごもって、それをひたすらかくして、生ませた後に、里子にだされる。

精神病院にいれられてしまったのも、親のエゴであり、そこから脱出した10代の主人公が、お酒におぼれるが、売春をしない設定は、女性と男性の平等を説くスウェーデンのフェミニズムでは、忌み嫌われる部分であることは、察知できる。

 親とも別れ、愛していた最初の男性とも別れ、子供とも別れさせられた女性がひとりで、ホームレスとして生きていても、自由があったが、殺人事件の容疑者として、指名手配されて、そこから物語は、展開していく。彼女を救ったのは、若い子供くらいの少年の、純粋な好奇心とそれから純真な友情、もしくは純真な前向きな親切さ。あきらめかけた彼女を、ふるいたたせたのは、かすかな尊敬。そして友情。相手を尊ぶことの大切さと友情。

 物語の底辺には、いろいろな形の愛がでてくる。表面にあらわれない部分、世間の下、人間の心の奥、深層心理。愛の底辺。まさに表面の反対、UNDER YTANといった(Under the surfface)ひとつのテーマにも通じるものがるのではないだろうか。

 物語のなかに、ハッカー、臓器移植といった社会問題。ホームレスの問題。現代の親子関係。肉体関係のみを愛情を計ることに対する若い時におちいりがちな女性の弱点。(男性にもてあそばれるといった表現をつかうこともできるかもしれないけれど)アルコール中毒の問題。

スウェーデンらしいのは、夏のサマーハウス(別荘)にたいする思い入れの深さも感じ取れる。またキャンピングカーで不法占拠して、警察が立ち退き命令をすると100メートル移動し次の立ち退き命令を待つホームレスの若者グループは、私自身前住んでいたアパートの目の前で秋から春まで6ヶ月その様子をつぶさにみたことがある。がこの本にもそのことがかかれてあったのでああ、彼らのことかとピンときた。

 クリスマスがちかずくこの寒空のもと、こういった自分がなりたくてなったわけではない、いろいろな事情をもったホームレスの人たち。赤十字や救世軍などのお店でいろいろなものを買い物するのも、12月我々ができることの数少ないひとつのことなのではないかと思う。ちなみに、作者の作品は、スウェーデン語ではすべてSがついている。次の作品は、児童書を書きたいとコメントしているが、今もっとも売れている作家のひとりであることは確かで、本店に彼女の作品SKULDが山と積まれている。クリスマスプレゼントにおすすめ。
 
by nyfiken | 2007-12-08 02:18

SUSHI IN STOCKHOLM



窓辺に飾られる大きなヒトデ型とも星形ともいえない明かりは、この12月にはいって一段と増えた。また窓辺におかれるろうそく型のランプもスウェーデンらしい。今頃は、クリスマス用のクッキーやお菓子がスーパに並ぶ。わたしのお気に入りは、かりんとうをちょっとやわらかくしたような?ドーナッツの食感があるお菓子。揚げ菓子だが、ついついあっというまにコーヒーのおともとして、手がのびる。

近所のお菓子屋さんSt eriksplan 駅近くのXOKOは、14日15日にノーベル晩餐のデザートコース特別メニューをだすらしいのですが、予約必要。スウェーデンで有名なデザート職人、Magunusは、ノーベルデザートを手がけてきた人という印象がある。スウェーデンのELLEの雑誌などをてがける出版社が近所ということもあり、この辺は出版関係者がよくでいりするカフェが多い。XOKOのデザートとそれにあうお酒ラムなどがそろっています。デザートコースなどはデートにおすすめ。
彼の本は数冊出版されていますが、お店でも手に入ります。ニューヨークで活躍するのペルー人女性歌手のCDなども流れていて、彼の南米に対する思い入れが感じられます。チョコレートの本では、南米のチョコレートのカカオの農場などの写真をみると、カカオを仕入れるところからはじめているのかしら、という印象もありますが、なかなかおしゃれなお店ですが、さりとて気取っているふうでもない。お酒とデザート。XOKOでデザートにあうワインを楽しんでみてください。

スウェーデンに必要な人は、日本の寿司職人。日本で10年以上寿司を握ってきた和食のいたさんは、明日スウェーデンに移住してもすぐにたべていくことができます。魚はさけしかおいしくないので、すしねたが、問題です。寿司職人が来たら、がっかりするのはそのところ。ねたを苦労して集めても、お客さんは、ほとんどさけの寿司をオーダーするでしょうし、日本人の駐在員が少ないので、高級な寿司としての接待者が少ない。

タイ人やイラン人などの寿司屋さんのほうが場所や室内のしつらいが上手なのでお客さんがそちらにいってしまうと、寿司職人としてのプライドが許さないかもしれません。そこが、ロンドンやニューヨークと違うところ。まだ、スウェーデン人は日本料理を形から入っていて、繊細な懐石料理のレベルまで一般的にいっていないので、(一流企業の駐在員やビジネスマンは別。)そこがむずかしい。

ランチお弁当は、焼き肉が、日本人が思う焼き肉とまったく違う。肉しか入っていないぼそぼそした薄切り肉のあまから醤油味の肉いため?は本当に焼き肉と呼んでいいものなのでしょうか。)ちんしただけの、やきとりの甘醤油もちょっといただけません。おべんとうには、ちょっとしたサラダ、寿司がすこし。焼き肉とやきとり。お弁当という日本の和食のお弁当は、ここでは受け入れられないのでしょうか。難しいものです。

スウェーデン人はいかやたこを普段あまり食べないので、鮭ののすしのみ。がっかりするのは、中国料理屋のビュッフェランチのすし。タイも中国も寿司など一部のひとが愛好するもので、この北ヨーロッパにくると平気で食べたことの無い人たちが寿司を握っている。ちょっと悲しい。モンゴルやロシアのアジア系、顔が日本人ににている中国人が多く働いているお寿司屋さんなのです。寿司やのメニューにある餃子がまた間違っている。

焼いた餃子がでてこない。むしたようなねっちょりしたのがでてきてサラダがつけあわせ。それが1000円以上するのは、がまんができない。スウェーデンで餃子もどきをたべたいなら、やはり中国レストランでまじめに点心にとりくんでいるところが正解。

小龍包など気の利いたものは、まだ無いのが残念。あっても、冷凍したのもをあたためるだけなので、横浜の聘珍樓本店の飲茶ででてくるようなジューシーなものとほど遠いし、しょうがの千切りが入った小龍包をつけるもの。黒い酢がないのもまだまだなのが残念。

冷凍の切ってあるものを寿司にのせてだすおにぎり感覚はいいのだが。先日タイ料理屋で(半分寿司をだしている。)タイカレーにすしようのねっとりとしたごはん(たぶん余り物)がついてきたときは、ここまで来たのかしら。とがっかり。

タイ料理にねっとりとした日本のごはんは、合わないと思いますが。ミスマッチもありでしょうか。ことタイ料理に関して、スウェーデン人よ!いいかげんなまがいものにまどわされるな!といいたいところですが、ここの寿司やは世界に広まった寿司屋の標準にするといい方なのだと思います。いまやストックホルムは寿司やとピザ屋が外食テイクアウトの主流になっていますし、ファストフードとしても市場が大きい。ダイエットとしての効果もあるダイエットで油抜きのお寿司なのです。

先日ある中国料理店のランチビュッフェでのお寿司はおいしくなく、しゃりは、ぼったりしていた。中国人の若いお姉さんが握っていたのですが、悲しいくらい寿司と遠い存在のものになっていました。中華料理屋さんで、すしはないし、タイ料理屋ですしもないと思うのですが、アジア人はみんな見た目が同じという?

もちろん日比谷の帝国ホテルの地下アーケードのお寿司屋さんは、もちろん文句のつけようがありません。。寿司は深いものです。問題は、中華料理屋さんでのランチビュッフェでのさけの寿司ネタはもうすでに、古くなっていた前日の残り物の味がしていたので、そのうち食中毒がでるのは、時間の問題ではないかとちょっと危惧しているところです。古いすしは、一口食べた瞬間にのどを通らないものです。おいしくないのは、古い証拠。


冷凍のまぐろは、スウェーデンで手に入るまぐろの種類が刺身としては大味。まぐろが大型なのか、ともかく味がない。けしごむをちょっとやわらかくしたような、味も素っ気もないもので、コストパフォーマンスが悪い。冷凍のいかが、ちょっとましです。

スウェーデン人もイギリス人もいかやたこの寿司は、うけないのでは。Mr.BEENの映画にもあったが、回転寿司やでいかのすしときいて、吐き出すのは、欧米人の素直な感覚だという気がする。



世界の寿司になった寿司。柔道がフランスや外国ですばらしい選手を育てたように、海外で寿司は独自の発展をしている。日本には、インドのカレーが日本のカレーライスにに、中国で日本のカレーライスとして、流行している。料理はこうやってグローバルな世界の中で影響し合いながら、成長していくのだろう。

イギリス人の女の子が、私のランチは寿司。今朝、にぎったの!本をみてちゃんと作ったのよ!とある日お弁当箱を見せてくれた。それもあり!”えっ日本人が、中華料理を作るの?寿司ばっかり食べてるのじゃないの。という質問を真顔でした中国人。


そう、わたしたちも麻婆豆腐や酢豚で育っているのだから。”うちのおかあちゃん料理うまいんだよ。”ある日東京の電車の中で聞こえてきた会話。小学生の男の子が友達に話してる。どんなの作るの?えーとね。麻婆豆腐。

以前ドトールでコーヒーを飲んでいた時、おそらく昔の彼女と彼が再会したような(会話が聞こえてきた。狭い店内なので)シチュエーションだったのだろう。”今のかみさん、料理結構うまいんだよ。”どんなの作るの?"麻婆豆腐なんて結構うまいよ。”そう子供もおとうさんも甘辛はあっても麻婆豆腐は好きなのだ。中国人が、え日本人麻婆豆腐なんて食べるの?と驚く無かれ。日本には丸美屋からハウスの麻婆のもとから、レシピもあふれている。

オステルマルムにEAStがあるが、お寿司もランチもそこそこにおいしかったのでオススメであるが。日本のビールを一番おいてあるお店は、むらさきである。


タイ人だってバングラ人だって今時寿司をにぎる。商売として寿司屋で働いている。日本に一度も行ったことがなくてもここでは問題がない。ならば、どうして日本人はみな寿司屋を簡単に開かないのだろう。知りすぎた故の難しさ。知りすぎると難しいのだ。なんでも。

結論は、スウェーデンにはスウェーデンの独自の寿司があり、さけの寿司は、ビュッフェをさけるとだいたいどこもおいしい。是非ストックホルムにいらした際は、さけのすしを一度は食べるのも悪くはない。スウェーデンのお金持ちは、ニューヨークなどに行くと最近は予約してNOBUに行くらしいが、チリの料理のエッセンスを利用して海外で活躍しているNOBUは、国際性をもった日本人のシェフ。オーストラリアのテツヤも海外で成功しているが、ノブやテツヤは彼らの本を出版したことも大きい。日本料理を海外の人たちによりおいしく受け入れられるよう、彼らの工夫は脱帽ものである。アメリカならば、映画スターや有名人御用達になったことも大きい。やはり人の縁というのは、大きいのだ。人間はひとりでは本当になにもできない。いろいろな人にお世話になって、今日の自分がある。普段忘れがちなことを12月は、思い出させてくれる。
by nyfiken | 2007-12-07 03:08