スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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下は、日本のニュースで報道されたものから。

旅客機の重大事故相次ぐインドネシア
インドネシアではこれまでも旅客機の重大事故が相次いでいます。
このうちインドネシアの航空会社が起こした事故としては、1997年9月、国営の「ガルーダ・インドネシア航空」の旅客機がスマトラ島北部の丘陵地に墜落して、日本人6人を含む乗客乗員234人全員が死亡する事故があり、インドネシアでは史上最悪の航空事故となりました。
また、2005年9月には、格安航空会社の「マンダラ航空」の旅客機がスマトラ島北部のメダンで離陸直後に墜落・炎上し、乗客乗員130人以上が死亡したほか、2007年1月には、102人を乗せた格安航空会社の「アダム・エアー」の旅客機がジャワ島のスラバヤからスラウェシ島に向かう途中沖合に墜落するなど、旅客機の重大事故が相次いでいます。

そしてまたもやスマトラ島のメダンで軍用飛行機の事故が7月に。住んでいたメダンのポローニャ地区は2013年まで使われていた空港に近い。そしてまた今日のニュースで、インドネシアの事故。
スウォンド空軍基地(インドネシア語: Pangkalan Udara Soewondo)は、インドネシアの北スマトラ州メダンに位置するインドネシア空軍基地となっている。

2013年7月24日まで民間定期便が就航しており、ポロニア国際空港(インドネシア語: Bandar Udara Internasional Polonia、英語: Polonia International Airport)と呼ばれていた。ガルーダ・インドネシア航空の6ヶ所ある本拠地の1ヶ所。2013年7月25日にクアラナム国際空港が開業し、ポロニア国際空港に就航していた民間定期便は新空港に移行している。ポロニア地区には、インターナショナルなホテルが建ち、また住宅地でもある。飛行場のターミナルは狭く、乗客屋迎え入れる人で混み合っていて、ポーターが客引きでごった返ししているという印象がある。ずいぶん昔からの古い飛行場を何十年も最近まで使っていたことには、驚く。

1980年代後半にも、スマトラ島で旅客機が墜落した。日本領事館に勤めていた知人の文化担当官が亡くなってメダンに埋葬された。小さな男のお子さんがいらした家庭人で、インドネシア語専門で活躍されていた。その時に、イスラム国であるから、次々と現地の人達は、遺体収容所から24時間以内の埋葬の土葬のために、家族は詰めかけたが、遺体の判別が難しく、足の長さや身長などで決めてかなりルーズな感じで遺体を持ち去っていった。日本から歯の専門家が派遣されて、遺体選別の協力に来ていらしたが、インドネシアの飛行機は、なぜこのように繰り返されるのだろうか。

何度か小型飛行機にインドネシアで乗った経験があるものとして、不安な要素はいくらかある。以前にガルーダインドネシアの飛行機でシンガポールからメダン行きで2回戻り、機体を変えてようやく3回目でメダンにたどり着いたことがあるが、機上で前に進んでいるのか進んでいないのか、わからないような飛行機がようやくシンガポール湾の海の上で斜め旋回した時は、生きた心地がしなかった。機材を最初の時、シンガポールで交換するのに1時間以上待たされ、替えて飛行機は飛んだが、また30分後にシンガポールに戻り着陸。それから機材を待って、2時間。交換してもだめとのことで、次の飛行機を待つ。といったようなひどいオペレーションだった。

今は信じられないことだが、小型飛行機でメダンから対岸の町に飛ぶ飛行機で、これから出発する時に小さな飛行機の中で男性が煙草を吸っていたことがあり、私は外国人として茫然とし、注意を促したことがある。
パイロットだけが乗っているような小さな飛行機だが、現地の人が周りは誰も気にしないことに常識を疑ったが、現代では、そのようなことはないと信じたい。
機内は、当然タバコなど吸ってはいけないのに、全く無視するというところが、にわかに信じられなかった。

事故の理由としては、いろいろあるのであろう。貧しさから来るちょっとした賄賂などで、,
飛行機会社が合格してしまうなど。貧しい国の飛行機会社にありがちな、古い飛行機を使い故障をいつもしているのをなんとか修理交換しながら使っている印象がある。インドネシアに住んでいた時、地方を旅行した時だが、スマトラから別な島で、バスが30回以上ジャングルのでこぼこの道で故障で止まり、外に出され、熱帯の暑い道ばたで待つ、4時間で行く予定が16時間かかって、夜になり電灯がない暗闇の中のジャングルの道を走るバスは、ほとんどの乗客は疲れ果てて体を上下左右に揺らしながら寝ていた。奇跡的に根性あるバスの運転手は、16時間の重労働の後真夜中に着いた。どんな困難でもやりとおす不屈の精神が、インドネシア人にあるが労働条件に驚いた。

その頃とあまり変わっていないのだろうか。大きな水かさの増した河までも横切って行くバスや、決してあきらめないで故障を直そうとする不屈の精神だけでは、近代的な飛行機など、現代では、大変危険が伴う。

解決策はありそうだ。古いものをこれ以上使わせない厳しい法制が必要だが、法があっても袖の下でなんとでもなってしまう有名な賄賂文化をやめる。古くてもまかり通るような、役人も全ての人の袖の下文化が事故を多くすると判断する。公から民間までアジア独特の賄賂文化であり、インドネシアにおいてもしかりである。
また、インドネシア人は、私の経験だと家政婦や運転手であっても、もし給料がきちんと支払われないと頭が痛くなったり、病気になったりと休むのと、仕事に力を入れない。労働条件が劣悪であるかもしれない。末端で働く人の給与体系やあるいは労働時間などひどいのではないかと想像ができる。

貧富の差がひどいことや、新しく多くの華僑がはいり、富の集中により、インドネシア人の労働者の待遇が低く、いまだに生活が楽にならない。もうひとつは、TIDAK APA APA文化である。簡単にいうとドンマイ文化というのだろうか。なにか失敗してもすぐにこの言葉がでてくる。諦めが早く問題ない!というなぐさめの言葉の陰に潜む精神性も関係しているのかもしれないが。寛容な文化。テイダッアパアパ文化。

気候は、雨や雲が多く、気流が安定せず、シンガポールから周りの熱帯国は、上空での飛行機の揺れが大きい。東南アジアを飛ぶ飛行機は快適な空の旅の飛行とは言いがたい。シンガポールから香港に飛んだことがあったが、気流が安定せず上下が激しくて、食べた気も飲んだ気もせず、最後は、スチュワーデスも座ってしまった。

メダンの飛行場で、かつてポーターが、チップの要求合戦が激しかった。空港では賄賂が横行し、正当な理由で援助に行く海外の外交官やコンサルタントの荷物に思いっきり税をかけ、賄賂を要求する話も聞いた。賄賂文化が横行し、アジアやインドネシアの事故につながっている気がしてならない。

インドネシア人の若い学生が、昔住んでいた時に話していた。
”急激な発展は、かえって危険です。なぜなら、ちゃんと社会の底辺まで発展していないのに、一見全体が発展しているように外から見えるから。だから私は、ゆっくりと発展していくほうが安全だと思うのですが、今のインドネシアはそうじゃないように見えます。”と話していたことを思い出す。

PS

私にとってのインドネシアは、国民が必死に貧しさと戦っている国だった。貧富の差が大きく、中国からの移民が貧しい中国人から成功した中国人までほとんどの商売を牛耳っていた。社会的な地位が高い軍関係者は、なぜかお金に余裕ができる。ステータス=利権がまかり通るような国というのだろうか。貧しい人は、スウェーデンに住んでいる乞食よりずっと貧しそうだったが、みんな乞食をせず歯を食いしばって一生懸命働いていた。中国から移民で移ってきた貧しい中国人がスラムにこぎれいい住んでいたが、親がいない子供が学校のない日に道端でラーメンを作って売っていたのが印象に残っている。

ワンタン麺だけを食べさせる中国人通りがあって、ワンタンメンが美味しく、休日にはわざわざ食べにでかけたものだ。昼はオートバイを売る店のシャッターを閉めた外にワンタンメンを夕方から出していた。誰もが一生懸命働く国のイメージがある。

80年代には、中国人の中に、大金持ちと普通の人の差が画然と存在していた。大金持ちというと、スウェーデンにも輸出されている有名なインドネシアのソースがあるが、華僑系の家族のお嫁さんは、お友達だった。彼女の家に行くと、おばあさんが、ふたりおでましになる。今は亡き、創始者のおじいさんの第一夫人と第二夫人で一階と2階の豪邸に住んでいらしたが、お互いおじいさんの写真と仏壇の前に手を合わせている。仲良く大きな居間のソファに座って迎え入れていただいたが、デヴィ夫人が大統領の第4?夫人とすると、インドネシアの政治家やお金持ちに許されるイスラムの風習は、華僑系にまで及んでいたことに驚いたものだ。違う国には違う文化が確かに存在することを感じたものである。スウェーデンのクラリオンホテルのスウェーデン人の社長さんが、別れた奥さんと新しいご主人、ご自分の新しい再婚した奥さんと棟は違えても、同じ屋根の下で皆で仲良く暮らしているという話を思い出す。膨大なお金は人間をできた寛容な人間にするのかもしれない。
# by nyfiken | 2015-08-17 03:02

Atomic bombing of Nagasaki

長崎原爆の本当のアメリカの記録映像。当時は既にカラー映像だった。原爆の準備、積み込みから、
飛行機でのフライト、原爆投下までの映像が米軍によって撮影されている。




アメリカが広島原爆の後に落とそうと思った場所は、長崎ではく、実は小倉だった。小倉に落とされたならば、山に囲まれた長崎市と違い、被害が広がって、犠牲者の数は大きかったと言われている。雲や悪天候、下からの攻撃や煙により視界が阻まれ、急遽ターゲットを変え、長崎に落とすこととなった。市内では、長崎医科大学の原爆が落とされた教室で午前中の授業中に亡くなった医学生や病院へ入院していた患者や医師、医療従事者たちも多いと聞いた。長崎を訪れた時に、長崎大学医学部キャンパスの中、原爆が落とされ、奇跡的に残っているコンクリートの家、教員やゲストが当時宿舎として使い、今も使われている古い建物の残っている壁のシミを見る機会があった。訪れた時に大学で聞いた話だが、原爆の日の朝、遅刻をしても休まずやってきたまじめな医学生が亡くなった。遅刻し朝の授業をさぼって家にいた生徒は命が助かったという話を聞き複雑な思いだった。若い将来ある人々が戦争で亡くなった意味の大きさを思う。



実際にどのようにして長崎の原爆が落とされたのか。

今から30年前に、NHKが生き証人の話を集めようとした。黒い雨はいったいなんだったのだろう。



黒い雨1989井伏鱒二作 広島原爆の後に黒い雨が降った。放射能の雨。



# by nyfiken | 2015-08-10 08:07

イギリス英語

日本の英語教育では、日本人にとってむしろ発音しやすいイギリスの上流階級の英語を教えるべきである。アメリカ英語は、日本人にとってRなど発音しにくい。中学校から英語は、イギリス英語を学校で教えるべきである。国は、決して我々にとって発音しやすい英語ではないアメリカ英語にこだわっているのだろうか。少なくても、米語と英語は、選択制にして、将来的には、中学校において履修させることが望まれるが、現状ではRなど発音がより日本人には難しいアメリカ英語が教えられている。





Meeting of The New Parliament - Jacob Rees-Mogg

QUEEN ELIZABETH

# by nyfiken | 2015-08-03 06:14
ダイアナマーサーさんから学ぶエチケットコース


ファーストフードで育った子供たちが、マナーを学ばないうちに、大人になり、レストランに行くと困ったことに。テーブルマナーを教えるコーチが。さてアメリカのマナーとヨーロッパのフォークとナイフの使いかたは違うので注意。



1970年代のウーマンリブの波により女性の社会進出が進み、花嫁修業という言葉が死語になりつつある世界中で、実はエチケットを教えるフィニッシングスクールが新たな脚光を浴びているという。花嫁修業というよりも女性たちが、グローバルにビジネスシーンでのエチケットなど上流マナーを習得するという意味合いが強いという。ビジネスマナーやヒューマンリレーションシップといったものまで。特にアジアでも新興国のインドや中国で急速にビジネスウーマン向けの講座が花盛りである。同じ文化カルチャーの中では、一つの作法が親から学べるがグローバルな世界には、それぞれのマナーがある。




イギリスの最若手のエチケットエクスパートWilliam Hansonさんがフランスの取材にアフタヌーンテイーのマナーを説明している。お茶の飲む方法で出身階級が判断されてしまうのは、クラスが存在するイギリスならではのこと。


スウェーデンでは、上流階級のお城出身のおばさまが、白髪交じりのくしゃくしゃのパーマにメガネのおなじみのおばさまだが、よくテレビに出演したり(王家の結婚式のお洋服のことや、ノーベル晩餐会での受賞者の洋服のコメントなど)最近の雑誌の表紙ページを飾っている。
スイスにある学校では、テーブルマナーや所作を教えているが、アラブやインド、中国からの若い女性の申込が多いという。数週間のコースに300万円以上の費用が必要であるが、アジアからの申込みが増えているという。
ティファニーで朝食を。





映画プリティウーマンにおけるように、ブランドものお洋服を着せ、それまでとは外見が違うだけで周りの反応も違うというストーリーだった。エチケットやマナーもその後で学ぶのだろうか。




日本では、戦後昭和30年代から40年代に、マナーの本が創刊され、各家庭にマナーの1から10までの本が毎月配布されるシリーズがブームとなった。また、お茶などの作法など昔は厳しい時代があったが、現代においては、カジュアルになり、シンプルなマナーで自由な気風の印象がある。ブランドものの高価な洋服に身を包むのは個人にもより、ヨーロッパのお金持ちは、洋服や外見だけで判断はできない。車も嗜好品もしくは生活のスタイルに応じて自転車派の人もいる。


ココシャネルは、貧しい生い立ちで孤児を収容するカソリック系の寄宿舎の学校へ行く。お針子そして踊り子で成功せず、出会ったアリストクラット上流階級の愛人として生活し、男性にパリの部屋とお店を出してもらう。愛人が紹介したパリでのイギリス人の裕福な男性が後シャネルの愛人となる。





母親が洗濯をして生計をたてる5人の兄弟の貧しい生活だった。生まれた時の出生届は、両親が不在だったために代わりの人が届けてスペルが間違っていたという。旅ばかりしている父親と貧しい人の家で洗濯をしていた母親は11歳で亡くなり、兄弟のうち3人の男の子たちは、田舎に働きに出され、自身は、孤児院にあずけられた。お針子をし、キャバレーで歌ったリ踊ったり苦労をしていた。VICHYのお水ガールをしていたこともある。歌が下手で踊り子の将来をあきらめ、裕福な男性の若いミストレスとして裕福な生活となった。偶然にも裕福な男性に巡り合い、夢のお店を持つことによりファッションで世界のトップに君臨するのである。上流社会のマナーを学ぶハングリーな女性は、努力により才能を開花させ、ファッションにおいて成功への道を進む。

シングルマザーでノルウェーのウェイトレスをしていて王家に嫁いだメッテマリープリンセスもシンデレラ姫は、偶然と本人の魅力や努力による。シャネルの一生は、生い立ちへの強いリベンジ精神がうかがわれる。生まれつきの美意識は、もちろん成功と幸運をもたらした。
生涯を通じて学び自分を発展させていったが、本物の宝石を付けることからファッションを解放し、ジャンクのコスチュームジュエリーを惜しげもなくつけることをファッションの改革としたことは、旧社会のアリストクラットに対する抵抗だったのだろうか。

インドのおかあさんが一念発起して英語留学で外国に出るといった映画が世相を反映している。子供を持つ母親が、子供と夫を置いてアメリカの親戚のところへでかけ、英語学校に通うという映画が、女性の殻を破り成長する姿を描いているが戸惑いが興味深い。
ENGLISH VINGLISHの映画は、日本人が観ても共感できる部分がある。





イングリッシュマナーコース


シンデレラ姫となったノルウェーのメッテマリーさんが、結婚を通じお妃教育を受け、活躍している。婚約した時のおどおどした感じは今はない。環境により、人間は変わりうるものである。現代は、ガラスの靴を履く必要もなければ、カボチャの馬車もいらない。


外国人の話す英語は、日本人ならば問題がないが、イギリスやアメリカに生まれたネイテイブの人は問題がある。すなわち、どういう英語を話すかで、その人のクラスや階級が現れてしまうからだという。マーガレットサッチャーは、仕立て屋の娘さんだったが、階級が存在するイギリスでは、話方を後に上流階級の話す英語に変えた。また、ミックジャガーも話方を変えている。逆にプリンスハリスは、一般の人たちに合わせた英語を話すこともできる。有名なサッカー選手のベッカムは、話方をPOSH(お金持ち)の話し方に変えている。

イギリスには、仕事によりワーキングクラス労働者階級とミドルクラス中流そしてアッパークラスが存在していた。以前は職業によりワーキングクラス、ミドルクラスとはっきりしていたのが、職業は別としてお金を持つ人がミドルクラス(中流というより日本で言う小金もち)にはいり、ワーキングクラスのブルーカラー職が、事業の成功によりお金持ちと逆転するなど、クラスの境目が変わってきたことなど。有名人になったワーキングクラス出身者は、まず話す言葉使いや英語のアクセントを変え、出身であるもともとのクラスと違った自分を出すようになるという。日本では、明治で武士から農家まで階級が変わり、また、戦後は、地主から小作人への土地解放があり、大きな資産家は国の税金で守られたが、中資産家や地主の多くは土地を失った。以前は日本では、養子制度が盛んで子供がいない土地を持っている資産家は、後継ぎとして養子夫婦をいれるなどし財産を守った。裕福な資産家(その多くは土地持ち)で、後継ぎがないために、養子縁組をし今なお家名を継続している、血縁関係のない資産家の子孫達は、実際は少なくはない。また、明治維新の時に、アメリカと通商条約などを締結するために、船でアメリカに渡られた人物の子孫を知っているが、その歴史的人物には実子がなく、その後養子を得て、今日存続しているが、子孫を知るにつれ、立派な家風やマナーは引き継がれている。戦争により家族が被災し、全てを失ったとしても。

エチケッマナートは、親から子へ受け継がれるものであったが、かつて日本の女性は4人のマナーの指導者を持つと言われてきた。母親と祖母そして嫁ぎ先の義母である。日本は戦争があったために、多くの命がなくなり、祖父母がそろっている家族は、現在50代以上は少なかった。また、日本では、姑とお嫁さんが同居することが少なくなり、箸の上げ下ろしから厳しく注意を受ける機会が減った。姑による嫁教育は、もう一つのマナー教室であったが、姑もお嫁さんも働きにでる現在では、一般家庭では、ひと世代二世代前の古いしきたりとして、既に形骸化している。また、戦後のアメリカ式の食生活やファーストフードレストランの広がりで伝統的な日本の食事マナーが必ずしも各家庭で守られているわけでなく、個食の時代を経て、子供たちが大人になり、会社にはいりあるいはビジネスシーンにマナーが問われ、あわててマナー講座に駆け込むといった例もなきにしもあらず。家族が全員テーブルを囲んだ昭和の時代には、父親が権限があり、食卓での躾が厳しい時代もあったが、正座する日本式の食卓マナーは、すでに昔のものとなってしまった感がある。
アメリカも半世紀前は、家でマナーが教えられた。

アメリカ式は、フォークナイフを使って切った後に、フォークだけで食べるが、ヨーロッパ式は、フォークとナイフを常に手に持ち、切ながら食べて行く。アメリカでは、ナイフとフォークを置く時にナイフを下にフォークを上に先の部分をクロスする。日本スタイルは、箸の使いかたやマナーはあるが、シンプルである。


さて、イギリスで躾がない荒くれ現代の酔っ払い女の子パーティガールたち。ホープレスな不良娘をレデイに仕立て上げる学校フィニッシュスクールに親が呆れて、送られた女の子。お昼は美容師夜は、クラブに出入りする酒飲みガールなど。ほとんどレデイとは程遠いイギリスの女の子たちが訓練によって変わりうるのだろうか?



オーストラリアの不良酒飲みドロップアウトガールズがエチケットを学びに来た。親がほとほと手を焼くワルの女の子たち。酒を飲んで叫ぶ日々の子が変わるのだろうか?

公式のデイナーテーブルでは、携帯電話は、使わない。テーブルについてからテキストメッセージを送ることはしない。と校長先生がおっしゃっている。

# by nyfiken | 2015-08-01 20:07

ピケティ来日討論会

ピケティ来日討論会

格差・税制・成長『21世紀の資本』

コンパクトにまとまっている。

# by nyfiken | 2015-07-30 21:19