ノーベル賞受賞者のマラリアの薬発見には、毛沢東が関わっている。毛沢東の特別なミッション命令であり、毛沢東抜きには、この発見はなかった。前線でマラリアでどんどん亡くなる兵士の数の多さに驚き、毛沢東は、中国全体の医学院や研究者などに命令を出した。
近年中国国内でアルテミシンの発見や文革時代のマラリア治療にまつわる歴史をきちんとしようという動きがあった。中国から文革時代に携わったすべての医学研究機関を代表して出席した先生たちが集まった学会にたまたま聴講者として出席したことがある。ミーテイングで文化革命時代に、毛沢東の命令にてどこの医学院の誰がどういう風に薬を発見するために、それぞれのチームがどういう実験をし、自然の漢方のもととなる植物からマラリアに効く薬を発見したかという歴史を考察する学会は、北京と南からの研究機関とのいろいろな歴史をめぐる意見の相違などもあったが、文革時代の研究の歴史をきちんと見て正そうという動きは、中国国内で実は真摯に過去5、6年話し合いが行われて来たように見受けられる。
国内の話し合いは別にせよ、欧米サイドの評価が漢方の薬の処方、毒性の強い植物から煎じて毒を除く手法として水で煎じるという古い文献にヒントを得て作ったということに注目し、受賞理由として当時の北京グループを代表してユーユーさんが選ばれた。中国を代表してひとり受賞したと見る。
毒性の強い植物を煎じて薬にし、乾燥した薬にするための、過程。ノーベル賞受賞の
理由は、古い医学書をひもといて、其に書かれている、煎じるのは、お湯でなく、水で煎じると毒性が消える。という一文の古人の知恵を利用し、クリスタル化して薬を作り、ねずみに実験して成功した。とご本人が発表し、アメリカの研究所の研究者の目にとまったものでそこから全てが始まった。
しかしながら、文革時代にクリスタル化したのは、ユーユーさんだけでなく、他の研究者たちも雲南グループなどがクリスタルを作っているが、文革時代にお互いに水で抽出しましょうというアイデイァを共有していたかもしれないが、そのアイデイァを最初に出したのがユーユーさんの北京研究グループという認識でもし、歴史が理解されるのならば、この賞は、自然の毒の植物から毒を取り除いて最高のマラリアの薬を発見ということにフォーカスされたと理解できる。
ユーユー女史は、クリスタルを最初に作りねずみに実験し成功という素晴らしい歴史に寄与したことは、人類を救う道筋をつけた。マラリアの薬を毒性の強い植物から古人の知恵、古い漢方の古文書をひもといて、毒を取り除き、薬を発見したグループのリーダーで今回は授与された。
温故知新。昔の漢方の医学書にヒントを得るのが中国らしいが、発見や進歩のインスピレーションは、新しいところにあるだけでなく、古いところにある。古人の知恵は、宝物の山と見る。
文革時代の歴史を考えるに、子供時代に文革を過ごした中国人たちは、既に50才代後半に入る。当時の若者は、既に80才代となる。
文革は何か?インテリが追放され、田舎の農民に豚にえさをあげる農作業や過酷な労働をさせられた時代。
医学部の外科の教授は、ある日突然、文革の若い子供たちに、大学の講義室で吊るし上げにあい、その後は、寒いトイレ掃除番とさせられた。ある日手術のよくわからない学生が、手術をするにあたり、寒いトイレの掃除番となってトイレを掃除をしていた名教授がトイレわきに倒れていたところを、どうしてもわからない手術のやり方を効くために、起こしてベッドに連れてきて、温かいお茶を飲ませ、紙切れに順番ややり方を書いてもらって手術場に走って成功した。というエピソードは、上海に留学していた時に中国の中医学部の先生に聞いた話である。
文革時代に何が起きたのか?大学受験がなくても毎年大学生がいたのも不思議である。全国共産党大会で”私の血豆をみてください!これだけ一生懸命働いたのだから、私こそ大学に入るべきだ!”それを大会で認めた若者達により合格が決まったという話を中国で前に聞いたことがある。本当かどうかはわからないが、なぜ文革時代に受験がないのに、大学生がいたのか?といわれれば、確かに疑問である。文革が終わり、ある突然に、大学入試が始まり、家でこつこつ勉強をしていたものが合格したという。もうひとつは、文革時代に、歌声広場でなく、英語広場があり、町のあちこちで、みんなで英語を話そうという場所があったという。お互い中国人同士とのこと。これは、北京で聞いた話。