スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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Cambodia cooking-カンボジア料理からスウェーデン雑感。

カンボジア人のドクターの知り合いがいる。彼は、ジェントルマンで、アジア人男性の優しさと細やかな気の使い方を備えている紳士である。得意なことは、料理。一度南の島にみんなで行ったときに、日本人医学生の女子たちが、まだ生あくびをして、起き上がってきたころ、彼のキッチンからは、朝食のおいしそうな香りが。毎回アジアのデザートまで必ず登場する。気がついたら、やさしい彼は、みんなの朝食をいやな顔せずに作るお役目を。いそいそとそして静かに作る。本当に人徳や美徳は人のぺこぺこのおなかを満たし、やさしさと幸福感に包まれる瞬間を作り出せる彼のような人に備わっている。

人にはいろいろな種類の人間がいる。いつも自分のことばかり忙しくて、分け与えることより、奪うことを。時間そして空間。自然にしている人。自らを一生懸命だれかのために尽くして喜んでもらうことに生きがいを感じられるひと。その半分半分がバランスよくある人間。人から奪うことばかりしている人は、知らない間に、パートナーや友人なりが、疲れ果てる。僕、わたしはこんな問題を抱えていて、これが困っていて、これをしてほしいの。それがギブアンドテイクで行われているうちは、問題がない。助けるほうは、見返りを気にしてはいけない。愛と同じく、おそらく愛情をギブアンドテイクだけで推し量るひとたちは、バランスが崩れた瞬間にいやになる。

厭世的なスウェーデンのある種のヒッピーハッピー時代のひとが、さめたニヒリズムがあるのは、東洋の国からきた普通の日本女性には、理解できない。フリーのはてに、彼らは自己崩壊し、孤独な晩年を生きている。見せ金で、安いお金に群がる貧しい生い立ちの女性に、施すといったスタイルで孤独をまぎらわすスウェーデンの孤独な年代の存在。男女平等を守ってきた男性は、妻にさられ、子供が大きくなり、そして独身を享受することもできず、老いを昔の楽しかったフリーヒッピーハッピー時代の思い出のなかで生きているひとも多い。人生後悔なし!エイズがなかったら、われわれの世代はもっと先に進んで崩壊していたでしょう。という声すら聞こえてくる。なんとも60代のビートルズ世代は、今のわたしたちの世代より、はるかに自由を享受しつくした若い時代を経ている。

今の若いスウェーデン女性が、ピルや堕胎の問題がクローズアップされ、北欧女性の10代の堕胎の急増や性病の急増は、社会問題となり、両親の離婚、複雑な家庭環境。忙しい働く両親に育てられたしっかりした子供たちも、やはり悩みは尽きないよう。中学生くらいの男の子や女の子がたばこを歩きながら吸っている。駅のぷラットホームへでると寒いので、階段の踊り場の扉の内側でたばこを吸いながら待つ10代の男の子を見る。マナーはもう少し前はよかった。しつけは、どうやら子供をたたいてはいけない。ということで、言い聞かせる時間がとれない忙しい共稼ぎの親の子供の放任も問題化している。

ストックホルム郊外のある種の町に最近頻発している泥棒空き巣アパート狙いは、ひどく若い10代の犯罪というのもいわれている。外国からの窃盗団だけではない。スウェーデン国内に内在する問題。しつけは家庭からができにくい今日。幼稚園や保育園の教育は質が高いように見えるのではあるのに。

さて、人間は、いいときもあるし、悪い時もある。人の心の痛みがわかる人は自分でも同じような経験をした事のある人。お互い様だから。仏教ではないが、その人にお返しをしていただかなくても、ひょいと通りすがりの見知らぬ人に仏の手のように助けられることもある。徳を施すひとたちが、早くに天国に召されるのだけは、納得はいかない。人のために一生懸命尽くす人が、自分の利益をむさぼって、肥太っているひとたちより、長生きをするかどうか。これは、どうやら残念ながら反比例のようだ。いとも矛盾に満ちている。大人になるということは、いろいろなことが見えてくる。80歳くらいになると、一瞬にして、いろいろなことが見える知恵といったものがついている。昔は大家族で、老人から子供まで年寄りの知恵が生きたもの。

お互い様。シエアは、人間が生き延びるための、大切な哲学。それを理想としてきた北欧の国。今戦後時代の60年代70年代のフリーな時代をフリーにヒッピーハッピーで生きてきたひとたちが、退職しペンションにはいる。あの時代、神を捨てたのです。とフリーに生き、一生引きずってきた大人たちは、まじめな顔をして会社や企業で仕事をしながらも、底辺には、フリーに生きた時代を引きずっているようだ。あのころは楽しかった。とかあのときはどうしてあんなにめちゃめちゃだったのだろう。とか。スウェーデンでも生真面目にいろような顔をしている人たちでも、若いころは、破天荒に遊んでいたという。


さて、カンボジアクッキングが、おいしい。カンボジア料理は、ベトナム料理とタイ料理とラオス料理を比較しても、やっぱり心引かれるおいしさに満ちている。ヒッピーハッピーなおじさんたちは、かつては、インドやタイに向かった。今カンボジアは経済発展といっても、貧しさが根底にある。カンボジア料理というととかくタイ料理に似ているんでしょ。なんとなく。で固唾けられるが、タイ人みたいに、世界に出て行った(脳を使う人は脳を使って、そして筋肉を使えるひとは筋肉を。の徹底した国)金持ちは学生として、お金のあまりないひとは、サーバントなどででていった人が多い。

カンボジアは簡単に国からでることができない。さて、タイと同じ歴史をたどうのだろうか。最近は、おじさんたちが、あやしげな白人のおじさんなど、デートサイトやエスコート、若い年の行かない少女たちの売春の問題もおこりつつある。カンボジアシルクは、個人的にタイシルク以上の品のよさが気に入っている。王様の第2か第3夫人の美しい王妃が産業を振興することに力をいれ、カンボジアシルクの上品な風合いそしてデザインがなんともいえない。

ポピュラーになることは、ある意味では、レベルの低下をまねく。エルメスがあんな高い高級な路線を歩いているのは、ポピュラーにならないお値段。このお値段でよければどうぞ。無理ならご無理はなさらずにね。のスタイル。人民のためにお力になります。のダイソーとは違う。

カンボジア料理。カンボジアドクターのお得意は、生の牛肉のサラダ。タイの牛肉サラダとは違う。スイスやフランスで好んで食べられる生の牛肉の食べ方カルパッチョよりは、洗練されていて、おいしい。ベトナム料理が香草の使い方など上手であるけれどカンボジア料理はシンプルに使ったレモンやパクちー(コリアンダー)そしてぴりりとしたチリのコンビネーションがいい。
そして緑豆のデザートココナッツミルク。夏は熱をさまし、暑さに対して抵抗力をつける。静熱の作用がある。お肉は、カンボジアドクターいわく、新鮮ないいお肉を使う。そしてスウェーデンでみつけたのは、アントレコートのかたまり。もちろんにんにくもたっぷりと摩り下ろす。牛肉はカンボジアでもお金持ちのたべもの。田舎や貧しいひとにはあまり手に入らない。だからお祭りや特別な場合に供されるという。レモン汁に2時間はつけておく。というのが大切なようだ。

カンボジア料理の本は、日本人と結婚しているカンボジア人女性が書いたものを愛読しているが、最近イギリスから出版された本を手に入れて眺めている。ストックホルムのEASTはむかし日本にもよくあった、無国籍料理を食べながらおしゃれに飲んで、お金に糸目はつけないちょっと接待。ちょっと彼女の気を引きたい若者に人気。オーナーのスウェーデン人は、アジア料理に目をつけた。おすしもあるし、タイのものもある。数年前にあったエステルマルムで人気のブッダバーなきあと、一人勝ちをしているレストランバー。

若者は、おしゃれにアジア料理をつまみながら、お酒をのみたい。北欧のひとは、なおさら雰囲気を大切に。どんなにおいしくてもバックパッカー旅行ならあきらめても、本国ではおしゃれにいきたいようだ。普段はピザやでテイクアウトをして、個食に甘んじているひとたちも、デートや週末は、彼女や彼氏と音楽をききながらちょっとおしゃれに。というのは世の常。めりはり。

カンボジア料理の手をかけたおいしさは、おそらくインドとタイや中国の影響をうけあいながら、なんともいい具合に料理ができた。

町田に昔からカンボジア料理のお店があった。だいぶ前に、時々ランチに電車をのりついで、でかけていった。カンボジアの人々を助けるNGOを主催する女性は、いろいろな人に尊敬される大人物のカンボジア女性であった。

スウェーデンの形から入ったおしゃれなアジアレストラン。アジア仏像を並べたり、赤いキャンドルいれを各テーブルに。といったヨーロッパからみたエキゾチックなアジアを演出する。しいていうならば、アジア料理のわれわれが思うシンプルな雰囲気のレストランは、ストックホルムではベジタリアンレストランへ行くとその雰囲気が味わえられる。ただし、なぜかいつもYOGA教室やあるいは、ある宗教と関係していたり、ヨガベジタリアン、豆腐を食べる変なひとたちがいるのよ。という世間の目がないわけでもない。もちろんヨガは一般的。

ベジタリアンというと、お魚を食べる人をベジタリアンという外国人がいるのにもびっくりする。あるひとたちは、肉を食べず魚とお野菜を中心に食べるひとたちを呼ぶあいまいな定義。私自身はあまり考えたこともないが、オーストラリア人にお嫁にいった知り合いが、そのご主人の母親が、彼女いわく、”あーあ。わたしの嫁は変なベジタリアン。お肉をたべないのよ。彼女は。”という。返答のしようがない。もうひとり、知り合いに完全なベジタリアンの日本女性がいる。彼女はヨーロッパのある国の人と結婚したが、その姑に”息子は肉がすきなの。肉をたべさせてね。”とくぎをさされた。魚が食べられない内陸のご主人と一切肉も魚も食べない彼女とは、料理が原因でなくても、だめになってしまった。オーストラリアのおばあちゃんは、孫の5歳のむすこに、日本人の嫁がいないとき、フィッシュアンドチップスを買って食べさせていた。ポテトをたべないとつらいー。という欧米人は、日本では、マクドナルドにポテトフライを食べに行くという。そばやうどん、ラーメンすしだけじゃ、なんとなく胃袋のある部分がみたされないのですよ。ポテト。これをいれないと、力がでません。という。

カンボジア料理の洗練さや手のかかり方は、わたしの好むところ。今一番アジアの料理のなかで、尊敬している。コリアンダーをたっぷり使う。心がこもっている。タイ料理が一般化して、外国で酢の入らないおすしのシャリになってしまった雰囲気がただよう今日。世間に受け入れられることやポピュラーになると、エルメスがエルメスでなく、もどきになってしまうことに似ている。カンボジア料理はポピュラーにならなくてもいい。そっと棚に飾っておきたい。ひそかに知っているひとがおいしくいただけたらいいのでは。一般に受け入れられすぎたことの悲劇は、質の低下につながるといただけない。ミートボールのかまぼこが、手つくりのミートボールよりおいしくないのは明らかでも。市販のミートボールのかまぼこで育った子供はその味が一番おいしいと訓練される。グルメ犬とおなかがすいたら、動くものはなんでも食べる犬は、時とシチュエーションでかわる。わが愛犬はフランスパンをおいしく食べていたのに、やむ終えない事情で里子にだされて、ある日再会したとき、わたしがあげたフランスパンには見向きもせず、動いているとかげをおいかけた。ワイルドになった娘の愛犬。環境は、人も犬も見事に変えてしまう。
by nyfiken | 2009-02-06 19:07