スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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スウェーデン映画ondskan

スウェーデンの売れっ子作家。Jan Gillou フランス系の父親の名前。ヤンギヨウ。資産家の家庭出身である。ブルジョア。社会主義だったスウェーデンにも、かくれた資産家上流階級が存在するようだ。このなかで、どうしてお金持ちなのですか。私の母親の父親はやり手だったのです。と本人いわく。
しかしながら、フランス人でプロマットの父親とノルウェー人の母親に生まれ、フランス人の祖父がヘルシンキのフランス大使になったのにともない、父親もフィンランドへ。母と息子は別れて、ストックホルムへ。ネスビイパークという駅は、テクニスカへグスコーランという技術高等学校のある駅から電車の終点にある。高級住宅地域に母親とそして再婚した相手義父との生活は、義父のいじめ。また学校での暴力のいじめや自分自身も暴力事件で放校。そこから学校をうつっている。1981年二出版されたONDSKANの小説は実体験にもとずいて書かれているのが興味深い。



ベストセラーは小説。エッセイ。映画化。本人は、ワインセーラーを持ち、おいしいワイン美食家である。横柄なブルジョアジーにスノッブという声もある。でるくいは打たれがちなスウェーデン。やっかみともみられる。
スウェーデンラジオの番組で本人へのインタビュー。レイシスト政党を擁護するような言い方をしているのが興味深い。以上ラジオ番組。スウェーデン語を理解する人には、おもしろい内容だと思う。


移民廃止などを訴える極端な愛国政党sverigedemokraternaへの考え方など。読者に多大な影響を与えるジャーナリスト作家が、スヴェりえデモクラテルナ党は、決して人種差別者の集団ではもはやない。といっている。誰がそう単純に信じることができるのだろう。移民に対する嫌悪をむきだしにする人たちがいるのは、周知のこと。繊細で難しいスウェーデン国内政治。右方政党が近年伸びている。白人主義や愛国はどこの西欧社会にもあったが、ネオナチの問題と同様難しい問題である。

ONDSKAN の小説の映画化。これは、スウェーデン語を勉強する人が、必ず読んでみるといい本と映画。。寄宿舎。いじめ。フィンランド移民の女の子の弱い立場。経済格差。義理の父の暴力。何もいえない母親。寄宿舎内でのいじめ。見てみぬふりをする教師たち。一人の少年が成長していく過程。この映画は本当にいろいろなスウェーデン社会の深い問題をみせてくれる。友情。いじめ。暴力をうけた子供が暴力的になっていく。

中国語の訳では邪悪。英語はevil

ただの学校のいじめ暴力の映画ではない。底に流れる問題。義父によるいじめそして理不尽な体罰。学校でのいじめや暴力沙汰。弱者だった初期フィンランド系移民女性食堂のおねえさんとの淡い恋。一番感じたことは、暴力を与える人間を見てみぬ振りする別の暴力の加害者たち。寄宿舎の食事シーンのときの生徒たちや、先生たち。あるいは義理の父親が理由もないエリックに体罰を与えている間、ピアノをひきながら、何も手をだせない母親も暴力の加害者である。という点をこの映画からメッセージとして受け取った。傍観者は、暴力に手をかさないが、結果として同じ与える側につく。中国語の邪悪と日本語とのニュアンスに少々違いがある。またonskanを日本語にぴったり来る訳はなんだろうとふと考えてみる。

映画のなかで、義理の父親と母親のやりとり。主人公。はざまで何もいえない母親のシーンにわたしは、いらだちながらも、このシーンは印象に載っている。クリスマス休暇。家に帰ったエリックを待っていたのは。いかにもスウェーデンらしいクリスマスの食卓の雰囲気。窓辺に星型が。そしてろうそくの形をしたランプが窓辺においてある。現在、いかなる状況でも肉親による体罰は、禁じられているが、子供たちは、親が理由もなく体罰をほどこしたら、警察に電話をするようにと教えられている。しかしながら、新聞には、事件の記事がしばしば載っている。
現在、ストックホルム地下鉄構内いっぱいに、大きなポスター広告。SAVE THE CHILDRENの広告が張られていて、目をみはる。家庭内でおきている子供に対する暴力。そういった子供たちのこなごなになった心を直してあげなければいけない。というすばらしい宣伝である。実情はこの国も深刻そうだ。




実際、この学校と寄宿舎のモデルになった学校は、存在し、作家自らも行った学校が舞台である。また選ばれしお金持ちの子息が行く私立の学校。以前は、王室の子息や城主の子息なども多かったという。一昔前の時代設定ではあるが、50年代に多くのフィンランド移民がスウェーデンへ労働力としてはいってきた。当時はお隣の国でありながら、蔑視がなかったかというとうそになるとあるスウェーデン人は語る。隣同士の国民はどこでも複雑な感情があるのはどうしてなのだろう。
by nyfiken | 2009-03-31 10:55