アメリカ散水の援助を事故発生直後に断った政府の判断ミス
2011年 03月 16日
今は、国民がその初期判断を誤った人間たちを選んだ責任で、知恵をだしあって、支えて、なんとか日本丸を運行していかなければ、船は沈んでしまう。船長は、舵をとるわけだが、舵をとっているふりをさせても、うしろで10人がハンドルを一緒にまわしてあげないと、船は蛇行を続け、座礁する。知恵者が知恵をだし、これを機会に権力争いをし、運よく場とずるいことを考えないで、どうやったら、この危機を乗り越えられるか。元首相たちも一緒になって、政府、役人、学者など一緒に漕がないとどうにもならない。むしろ2100ネン以降にまた来るであろう大きな地震で、増えすぎた核燃料や処理された燃料が冷却水プールにはいっていてそれが、地震で水がなくなり、表面にでて
高温で爆発するという惨事の連続シナリオ。(六ヶ所村)とその現実を阻むことになるかもしれない。
日本国が永久に存在するためには、安全な国土が必要である。その国土が失われたら、テント生活をする難民として世界を歩くのだろうか。日本の原発事故に、リビアも、エジプトの群集も、デモどころではなく、みんなインターネットやキオスクの新聞の代一面、見開きで日本人老人が収容所で寝ているところや避難所のひとたち、津波にされ割れた場所でぼうぜんとたたずむ若い女性。さがしています。という男性の写真をみんなそれぞれの国の政治問題を忘れさせるほど呆然として、テレビにくぎつけになっている。日本人を見ると涙ぐみ、大変ね。あなたの家もながされちゃったの。ときかれる。私は北で、今両親は食べ物が買えずに困っています。というと、道路が寸断されて、物資が届かないのです。というと本当に顔が曇る。
招いた。すなわち、経済効果は楽観視できるものではない。チェルノブイリブランドの野菜や肉や河の魚をわざわざ海外から輸入するひとはいない。中国の農薬野菜を怖いとかエコ野菜といっていた人たちは、一転して、安心な自国ブランドであったはずのものがすべて食べられない危険性ですらでてくる。日本を昔栄えた国があったが、ローマやギリシアのように過去の栄光国で、近隣の中国や韓国やフィリピンやタイの援助に頼らないと食べていけなくなる自給ができない惨めな最貧国にすることはいとも簡単だ。
政治家は、国民が選んだわけだから、国民にも責任が当然ある。天皇はだれと選べないが、政治をどうカジ取りするかは国民が選ぶ。日本の政治の脆弱さを嘆く海外のメデイア、スウェーデンの新聞にも政治の不毛、首相の交代など多くは、政治不毛国と見ているが、わたしは、トップに責任をかぶせ、選んだ国民は、自分たちが選挙で選んだ事実を忘れがちである。能力がそれほどでない上司を120パーセント働かせることはできます。とある女史がいった。仕事のできない上司が、能力が発揮できるように、下のものが仕事を8割くらいやって、あとの2割花をもたせる最後のところだけ、ごまをかけてもらえばいいんですよ。彼は自分が下と思って少し自信をもつわけです。日本の社会など、部長や課長より、一番働かされているのは、20代や若い女性たちが、必死に働いたのを、部長や課長に渡して、お手柄をたてさせてあげているんです。なるほど。トップが働きがいまひとつとみるのは、トップだけの責任ではなく、参謀、下の部下の協力を持って、トップを作り上げてあげる。
もし、これが北朝鮮で起きたなら、あるいは中国ならと思うと恐ろしい。インドネシアやマレーシアなど東南アジアの国は、原子力開発反対方向に進んでいくかもしれない。
用は、一日中停電のある発展途上国の夜真っ暗な中でろうそくをともらせる生活に戻れるかどうか。
仕事の効率をあげることと、処理しても処理しきれない仕事が増えてしまった現代社会。
日本が本当に地震国であり、青森県六ヶ所村の岩手に近い太平洋岸、小川原湖そばに、核燃料を冷却プールにいれて何千年も貯蔵する計画は、リサイクルと言う考え方を60年代から進めたものであれ、今回思ったことは、もし2000年以内に、大規模地震が起きた時は、六ヶ所村の核燃料処理工場は水がもれて大爆発をおこし、それは、北日本が壊滅すると言うシナリオだが、ならば、日本は一体どこに最後は国を持つのだろうか。南の九州か四国に首都を移し、あるいは沖縄に移って、多くの人が、放射能により今の血チェルブイのりの病気と闘ってやっと生きて、最低の手当てをいただいて、いるうつろな目の人間を作り出すのだろうか。チェルブイノリの放射能汚染は、スカンジナビアまでとび、ある地域では北森では美しくてもそこできのこもベリーもつめない、それを食べるしかも食べてはいけないといわれている。アルスウェーデン人がいう。ああ、バルト海だって相当汚れていますよ。あそこで取れた同じ魚を食べ続けると、危ないとまでいわれている。こうやって地球号は最悪のごみを作り出し、人間の欲望に従って生産第一できたために、石油が枯渇、原子力事件で環境は汚染され、恐ろしい人間の健康被害を作り出していく。エコも、無農薬もすべてのことばが飛んでしまった。
初期判断。助けを借りるなら、災害がまだ大きくならない前に。原発の事故をこれ以上拡大しないために、
私達だけでできるとか、余計な責任感をだして、東電だけでなんとかやってみますというスタイルが、このような惨事を拡大してしまった。ひとりが責任をとってやめさせたら、それですむ問題ではない。むしろ、応援をしながら、知恵をだし、謝った判断にいかないようにするために。
火災の初期消火。これは、むかしなら多くの人が手渡しで、バケツを右から左へ手渡しでやった。アメリカが最初、事故直後に原発の最悪のシナリヲを想定して、すぐにクリントンから(夫人)オバマサイドからの
消火作業の申し出があった。これを政府は断っている。この一文をBBCで読んだときに私は、本当に嫌な予感がした。原発の前回の大きな事件の時も、東電の社員がうちらがおこしたことだからうちらで。という判断ミスから大きな惨事につながった。日本人の楽観主義は、どこから来るのだろうか。スウェーデンもイギリスも、冷静に落ち着いてみていたが、楽観は最初からしていない。物事をできるだけ、国民のパニックをおこさないために、安心させようと官房長官がすべていう言葉は、そんなはずはないとふつうのおばちゃんが
見ていても思うようなものであった。パフォーマンスは海外に通用はしない。
散水ヘリ。これを最初からお願いしていたら。。おんぶにだっこではない。国民の命がかかっている。国民の健康を守るためには、判断を迅速に正しくとれる政治家が必要であり、会社の努力してみますだけでは、済まされない問題である。もうすでに日本生鮮食品や魚、肉ブランドは失墜し、がんばってきた農業、漁業の人たちのコンゴの生活に大きなダメージを与え、国民の健康保険料、医療費負担は増大する可能性が大きい。日本ジンはみんなパレスチナ難民みたいに、テント暮らしをし、あるいは、病気で働けない人たちを多くだすことを誰一人として望まない。
次の世代の日本を背負う若者たちを守り育てる責任が社会と国にある。今回の地震によって、日本の耐震建築のすごさを高く評価を多くの国の人がし、また協力して立ち向かう姿に感動をする。
原発の核燃料処理場や核燃料済みの燃料貯蔵場所が、岩手県からすぐの青森県太平洋岸から近い小川原湖六ヶ所村で、コンゴ本当にだいじょうぶなのか。地元では核のゴミ捨て場といわれている。私は、13歳からその六ヶ所村のすぐそばの市で多感な少女時代を過ごし、電車からみえる六ヶ所御殿に驚き、そしてまた無知な農民は、将来東京から誘致する工業団地が建って、大きな都市となって発展すると本当に信じていた。日本の高度成長期の70年代は明るい時代だったが、その後は、
疑問であり、東北や東京、北海道まで切り捨て、中央から関西、九州まで人が大移動したとしても、
首都をまた京都に移した後は、ある境界線からは立ち入り禁止のサインがたつのだろうか。
あるスウェーデン人がいった。日本に住めなくなったら、日本人は、中国を借りて移動したらどうかな。
そういうきつい冗談まで飛び出す原発事故6の脅威は、後一歩でチェルノブイリと同じとなる。私は悲観論じゃではない。ただ天災が人災と一緒になるのが怖いだけである。待ちがった判断がされるシステムが
もし政府にあるのならば、それは大きな問題ではある。
*書きかけ、未校正
ストックホルム Nyfiken.