スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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[講演記録] 大船渡市の津波江戸時代までの三陸・遠地津波を考慮して 1、

[講演記録] 大船渡市の津波対策
~ 江戸時代までの三陸・遠地津波を考慮して ~
東京大学地震研究所* 都司 嘉宣
* 〒113-0032 東京都文京区弥生1-1-1
本稿は,東海新報社(本社:大船渡市)のご厚意により,同社発行の「東海新報」に掲載された連載コラム「歴史地震研究発表会公開講演より」(2006 年10 月27 日~12 月8 日).

東京大学地震研究所の都司(つじ)と申します.
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と申します.津
波についての知識も普及し,会場の皆さんもかなりの
ことを知っておられるでしょうが,もう少し整理したいと
思います.
それともう一つ,不必要に恐れ過ぎていて,実際に
はそれほどでもないようなものもあります.そういうとこ
ろをお話しようかと思います.
地球というのは内部で対流を起こしておりまして,
(海底地盤は)太平洋の真ん中からベルトコンベヤー
のように進んで,日本列島の下に一年間に9cm の勢
いで沈み込むという構造です.
この沈み込む側とその上に乗った側,違うプレート
の間の境目が普段は突っ張り合っているんですが,
ついに耐えきれなくなってツルっと滑る.すなわち,プ
レート境界型の地震が起きることがあります.明治三
陸地震の津波がこういう起き方をしています.
それと同時に,沈み込む側というのは堅いもんです
からゴムの幕みたいにすんなり入りません.その中で
ポキンと折れることがあります.ちょうど板チョコを割る
ように.昭和八年の三陸津波というのは,板チョコを
割るような形で起きた地震であるわけです.
どっちの地震にしても津波というのは起きます.日
本列島だけを拡大しますと,東北地方の沖の太平洋
のプレートが日本海溝のところで綺麗に沈み込んで
いきます.沈み込む割合というのが決まっていますか
ら,このプレートの境目で何年かに一回地震が発生し,
大きな津波が来ることも予測されます.
ただ,昭和八年型のポキンと折れるタイプは周期
性がどのぐらいになるのかはよく分かりません.かなり
偶発的な要素があるのかなと思います.
さらに,津波が起きる要素というのを模式的にみま
すと,ふだん沈み込もうとしていますが,無理矢理上
も一緒に押し込まれる.我慢して一緒に入っていくん
ですが,ついにはバンと跳ね上がる.
海底が跳ね上がるもんですから海水も浮き上がっ
て津波となるわけです.海底が跳ね上がる部分は海
溝の軸に近いところです.水深4,000m,6,000mという
深いところで海底面が2,3m 持ち上がります.
例えば最初の津波の高さが2m だとします.それが
陸棚斜面の上の深さ200m という浅いところ,さらには
海岸のもっと浅いところに来ますと,深さ4,000m,
6,000m という空間的にゆとりのあるところに入ってい
たエネルギーが,わずか200m の厚さ(深さ)のところ
に入ってくるわけです.
そうしますと,エネルギーの空間当たりの密度という
のが増え,沖合の深いところでは2m の津波であった
ものが,海底が浅くなるごとに3 倍,4 倍になってくる.
海岸に達するころには8m,10m の津波になる.これ
が津波の原理ということです.
それから,津波が高くなりやすい場所というのが,
半ば常識的にV 字湾の奥です.この三陸地方にもV
字型の湾というのはたくさんあります.
湾の入り口から津波が入ってきて,次第にエネル
ギーが集中し,一番奥でエネルギーが焦点を結ぶわ
けですから津波が高くなります.
津波が高くなる場所というのはほかに,例えば半島
の先の後ろへ回り込んだ所,直線的な海岸であって
も等深線が沖に張り出している,遠浅に張り出してい
る場所,その背後などもやはり高くなりやすい.そうい
う所は三陸地方にもあります.
それからもう一つ,入り組んだ湾がありますが,湾
には固有振動があります.ちょうど振り子のように湾の
形や深さの分布が決まると,何分で揺れる,振動を起
こすという独特の固有周期というのがあります.
この大船渡湾は40 分位ですが,それと同じ周期の
津波が入ってきますと,湾の中で共鳴を起こして津波
が高くなりやすくなります.そういう要因があるというこ
とです.
歴史地震
第22 号(2007) 13-18 頁
- 14 -
というふうに,V 字湾の奥だけじゃなくて,半島の先
端付近や遠浅が突き出た所,そして湾の固有振動が
外から来た津波と一致する場合,津波が高くなる,と
いうことになります.
このようなことを頭に入れておいて,江戸時代のは
じめの1603 年から400 年間のデータがありますので,
その中から法則を学んでいって津波対策に役立てよ
うと考えています.
江戸時代の始めから三陸津波は7 回起きておりま
す.その7 回の津波は,慶長十六年(1611),延宝五
年(1677),宝暦十二年(1762),寛政五年(1793),安
政三年(1856),そして明治二十九年(1896),昭和八
年(1933)です.
大ざっぱに大中小と分類しますと,昭和八年,明治
二十九年は両方とも大きいんです.この二つに匹敵
するのが慶長十六年です.貞観十一年(869)もやっ
ぱり大きかった.それ以外の四つは中・小の津波で
す.
明治からの約百年間に2 回大きなのが起きたもん
ですから,この頻度で大きなものが起きると考えると,
これはもう心配で寝られないだろうと思うんです.
が,実は明治二十九年の記録を読んでみますと,
津波は知ってはいるけれども大きな災害とは思ってい
ない,そういうふうな意識が読みとれるんです.
と申しますのは,明治二十九年の前の一番大きか
った慶長の津波から280 年も時が経っているわけで
す.その間に中小の津波が4 回来てますが,津波っ
ていうのはその程度だと思っちゃうんですね.
そのぐらいのものだったら,台風のほうがよほど大き
な被害が出るわけです.だから,津波は災害なんだ
けれどもたいしたことない,と思っていた意識があった
みたいです.こういうこともちゃんと知っておきましょ
う.
大きな津波というのは100 年に2 回じゃなくて,400
年に3 回なんですね.その大小を数字で見るために,
死者,行方不明数というのを調べました.
昭和八年は死者・行方不明3,064 人,明治二十九
年は2 万2 千人という,大きな被害が出たんですね.
ところが安政三年の津波について,古文書をどん
なに読んでも一人も増えないだろうと思うんですが,
死んだのは41 人なんです.これは運の悪い人で,ち
ゃんと避難をした人は死んでないということですね.
寛政五年には三陸全体で28 人死んでいますし,
宝暦十二年では三陸全体で6 人,延宝五年となると
一人も死んでない.このように,小さな災害に過ぎな
かったように見えるわけですね.
もちろん中程度や小程度でも油断はできません.
やはり,きちんと逃げなきゃいけない.そういうことも知
っていなければなりません.
ただ,むやみやたらと昭和八年,明治二十九年並
みのものが100 年に2 回起き,江戸時代にも5 回こ
んな大きなのが起きた,と考えるとやっぱり間違いに
なります.このこともきちんと頭に入れておいて下さ
い.
明治,昭和三陸津波をもうちょっと数値としてどうい
う法則があるかということを見ておきましょう.
実は明治と昭和の三陸地震の津波,それから昭和
三十五年のチリ津波というのは,三陸海岸を違う襲い
方をしているんです.まず昭和八年津波から見てみ
ましょう.
昭和八年の三陸津波について大船渡市,陸前高
田市,気仙沼市の浸水の高さを見ますと,15m 以上
の波が来ますと対処のしようがない.そこにいた人は
ほとんど死んでしまっています.「逃げよう」と素早く避
難した人は助かるでしょうが・・・.
6m 未満だと努力して避難すれば死ぬ人は多分い
ないだろうと思います.家を捨てて山の方,高い所に
逃げた場合には命は全うできる.6m 未満はそういう
場所になりますね.
大船渡市三陸町綾里の一番奥,大久保は32m で
す.ここが綾里湾,V 字湾の一番奥でして,やはり一
番高くなっています.
また大船渡市赤崎町合足(あったり)の小さなV 字
湾の奥,それから同市三陸町綾里の石浜,同吉浜の
本郷,越喜来もやや高くなっています.こうやってみ
ますとV 字湾の奥が確かに高くなっています.
ところが,陸前高田市の広田半島の先端にある広
田町集(あつまり)や根岬という所でも15mを超えてい
るんです.30m まではいっていませんが,19m 上がっ
ているんです.
唐桑半島の笹浜や欠浜という所でも高くなっている
わけです.ここは別の理由で高くなっています.が,
広田湾はあまり高くなっていない.それでも5m ぐらい
来ているんで油断できないんですが,V 字湾ではな
いU 字型やもっと袋状の湾の奥では外洋ほど高くな
っていないわけです.
実はこの大津波が起きた翌年,地震研究所の我々
の大先輩の教授の方々が若かったころ,あちこちで
津波の高さを測っていきました.大船渡市大船渡町
茶屋前のあたりは2.6~2.8m 位.末崎町船河原,細
- 15 -
浦あたりで9~8m 位の津波が来ています.
それから根岬,集は19.5m の津波が来ています.
半島の先の津波が高くなっていることがあらわれてい
ます.三陸町綾里・大久保の28m,赤崎町合足で
12m まで来ています.
唐桑半島周辺では,気仙沼大島の小田の浜や横
沼で6m台,欠浜が20m,笹浜22m.昭和三陸ではこ
のへんが津波が高く現れた場所になります.
さて明治三陸津波ですが,やはりV 字湾の一番奥,
綾里の大久保で38.2m,合足でも18m と,やはり高く
なっています.ところが,それとは別の理由で根岬,
集のある半島の先端付近で32.6m.ここが第二位の
高さになっています.
まとめますと,一番高いのはV 字湾の一番奥,綾
里の大久保,次に半島の先端,広田半島の根岬と集.
ここは昭和でも明治でも第二位です.というふうに,高
くなる場所はV 字湾の奥,それと半島の先端.この二
つとも注意を要する場所だということが分かります.
V 字湾の奥では明治でも昭和でも合足や吉浜など
湾の奥で一番津波が高くなっているんです.ところが,
V 字湾でない広田湾とか大船渡湾の最奥部では津
波はそれほどは高くなっていないということも分かりま
す.
by nyfiken | 2011-04-02 09:10