My trip to Portugal
2013年 06月 05日
I flied to Porto to attend my friend's marriage ceremony.
From Stockholm to Lisboa, then to Porto. At first I thought there must have a direct flight from Stockholm to Porto, but that was my misunderstanding. I had to change the flight at Lisboa once.Portugul is quite nice country since peoples are so kind and warm. Good food, sweet and nice wine. As a Japanese in fact our first wine long time ago was always red port wine(made in Japan "Akadama porto wine)when I was a little girl especially for christmas in old days.I mean I was allowed to taste a bit.(tasting does not mean drinking. ) Probably Portugal and Japan's long relationship of history made First Japanese made wine was porto wine.First European was from Portugal appeared in a small island so called Tanegashima from wrecked ship, that introduced first European guns to Japan in early 17 century. The wind blows from the sea is comfortable and the old town's pavement is not so hard for foot. Early summer. While I was walking street in the northern part of Portugal city, I was wondering.. national economy could be bad but the town is clean and cozy, not many beggars like in Stockholm and reasonable price of wine and food. Peoples look more relaxed and enjoy their homemade bread and wine in country side. They work hard of course but not so mean. I can say the taxi driver in Germany look very stressful but no in Portugal.History. They sailed to the east and brought many chinese and Japanese old goods like silk and porcelains. My impression.. Portugal town is cozy, clean and relaxed no matter how bad business is, their food is nicely made with lots of their mothers' imaginative efforts.My latine part of my personality echoes. In Sweden, if kids are extremely excited , they are told by their parents " BE quiet! " so they can be controlled their emotion since they are small, but probably latine southern European can express their emotion more in their way.
I feel Portugal is the last country in Europe that still keep their kind hospitaly and their own way of treating their guests.
In the future, probably again Portgul will win the world if they keep on having their natural kindness that is their nature that all of us tend to forget and more practically benefitial. I do not understand Portugal language at all, and have no intention to study it, but I do not mind visiting that country again. I add my favorite destination in addition to Switherland.
長年の友人の結婚式にポルトガルのポルトに飛んだ。友人の幸せな横顔を見てうれしく、焦らずこの日を迎えた花嫁と花婿を思った。焦ってはいいことはない。二人を見てそう思った。友人は、スウェーデンで博士をとり、研究者としてアメリカのニューヨークの大学で過ごし、南米とポルトガル、アメリカと研究生活を送っている。先の長い道のりは、精神的にはタフであろうが、一緒に支えてくれる相手がいる祖国で、それまで異国で頑張ってきた彼女が家庭を築クいいタイミングと見る。以前唯一彼女に挙げたアドバイスは、数年前の”あなたのエネルギーを奪うような色男やあなたをだめにするような男はやめなさい。なぜならあなたは、才能あふれる将来がある女性。そういう女性は、尽くして捨てられるような羽目に陥るような色男は、あなたをダメにするから、自分が強くなれて精神的にサポートしてくれる男性(経済的ではなく)にした方がいいと思うわ。寒い凍てつくような夜、外の雪が凍りつくマイナス20度の日、太陽あふれる国からやってきた友人は、大きくうなずいた。それから数年。花婿が、花火を上げた夜空から降ってくる大輪の花火の下にいた私は、彼がその花火を彼女にプレゼントしたことを知った。
女性は男性から望まれて結婚するほうがいい。押しかけ女房は、実際才能ある女性にはあまり向かないかもしれない。自分から頭を下げて結婚してと女性が言う場合は、相手に一生質をとられる可能性がある。日本のお年寄りは、若い人たちに、昔は、よく望まれて結婚しなさいよ。とアドバイスした。
スウェーデンでは、押しかけ女房も男の人のわがままをじっとがまんしている女房もフェミニストの国の割には、多い。自分が本当にやりたいことがある女性は、伸ばして、協力してくれる男性がよく、男のエゴを押し付けてくるような人は、相手を疲弊させるようだ。よってスウェーデンでは、6割以上の離婚率となる。女性の経済自立が多ければ、嫌な相手とがまんしてまで一緒にいる必要がないということになる。ただし、最近の安直な結婚(相手が年上でできあがっているような経済的な理由による結婚)はあまりうまくいっていない。若いもの同士お金がなくて苦労するのも大変ではあるが、最初からともに苦労をするのを避けて、年寄で完成成功した男性と一緒になった大学を出たばかりくらいの若い女性は、かなりの確率で40ー50くらいになると60-70過ぎたご主人を去り、若い男性に走る女性も多いと見る。かごの鳥が羽ばたきたくなる女性は、ある程度経済的に最初から恵まれ、長年疑問も持たずに暮らしていくが、それも飽き飽きして人生を替えたくなる。自分で食べられる教育を受け、仕事を持つ女性ならなおさらのこと。年金生活に入った夫を40過ぎに迎えてしまった女性は、今度は、外に出たくなるはずだ。かごの鳥だった女性は、ある日突然若い夢を追うような一文なしのずっと年下の危険な香りのする芸術家などと一緒になり、自分が若いころに受けてきた年齢の違う男性にしてもらったことを、今度は恩返しのように年下の男性にせっせと尽くす。という例も聞く。年上だった夫の老後は一緒に過ごさず、無一文の男ともう一度別の人生をやり直す中年女性の気力体力はなかなかでもあるが、それもひとつのサバイバル術なのだろうか。日本では、女性が結婚子育ての間の仕事から離れている間に、キャリアを積むチャンスを逃し、経済的に自立できず、また情があるために、状況は違うと見る。もちろんうまくいっている場合も多く、年齢の差はあまり関係がないとは見るが、最近の中国の両親が、海外脱出のために若い娘をアメリカの親より上の年で財産がある男性にお嫁にあげたがる拝金主義傾向を見るにつれ、(中国国内も同様)深くため息がでてしまうのだ。その反対がスウェーデン(年下の男性と一緒になる女性が多い。)なのでまだ気持ちが救われるが。
さてアメリカの最近の学生がよくサイコセラピーに通う理由の第一は、愛情がない男性とのつきあいで、性的な関係に愛が伴わないケースが学生の間に増え、相手が増えるほど、混乱や精神的な苦痛となり、それがやがて知らない間に精神的な悩み、おちこみなどに発展するケースが多いとニューヨークの大学の先生から聞いた。自由な恋愛の中で、実際は、愛にも発展しない精神的なつながりを持てない人間関係が多くなり、悩み多き学生たちの問題は10年で深刻化しているという。売春婦が陥るような虚無感を愛が介在しないあっさりした男女関係に疲れている若者たちの悩みは、アメリカの友人によると、男女平等の中で、売春婦の代わりに普通の子女(男女ともに)がもてあそばれる関係ばかり続いているうちに、精神的にがっかりするというとわかりやすいのだろうか。(日本的ないい方を使うと―スウェーデンでは、男女両方の責任なのでそういう表現は使わない。ヨーロッパにおいては、経済的あるいはヒエラルキーの強者が弱者に施したり、相手をいいなりにするのは、同国人のお相手というよりも、経済的に貧しい国の人間たちとの関係に多い。女性が男女平等で経済的に独立している場合、今度は、男性というよりも、孫がいるような妙齢の女性が、アフリカや中東の貧しい国の若者20歳年下の移住を求める若者を同居人として第3国から連れてくるスウェーデン女性がいることも現実。例70歳のスウェーデン女性が50歳の旅行中に出会った貧しい国の外国男性を同居人として迎えるなどのスウェーデンらしい話には実際枚挙がない。子供や孫たちは、おばあさんが新しい若い外国の同居人を連れてきたとしても、個人主義の国では、財産の問題などを含めて文句を言わない。が残念ながら、財産めあてや、詐欺など、外国の若い男性にだまされた普通の真面目なスウェーデンおばさんが泣かされた話にも枚挙がないのも事実。)同居を2,3年してスウェーデン語を覚え、食べさせてもらい、居住許可がとれたら、本国の彼女を結婚して連れてきて、ハネムーンに20歳年上の元同居人サンボの家を使わせてもらったある中東の国の輩の話を聞いたが、人がいいスウェーデンのおばさんは、いきなり失踪して、国に帰って花嫁を連れてきたカップルを温かく?平気な顔をして迎えた話は、普通の日本人の感覚からすると、耐えられない話だが、そういうこともじっと我慢して受け入れるスウェーデン人女性の我慢強さを思うが、仕方がなく惚れた弱みの年上女性は、やがて訪れる想像していたことをごく自然に受け入れたともいえる。冷静なふりをせざる負えないプロテスタントルーターの影響を受けてしまった北ヨーロッパのスウェーデン人たちの、あっさりした部分は、南欧とはどうやら違うようだ。
アメリカ人は、”ジャマイカ人の若い男とアメリカの年上の白人女”といい、スウェーデンは、アフリカのどこかの国の若い男性とスウェーデンの妙齢の女性、日本ならさしずめ日本女性とバリ人のかなり年下の男性となるのだろうか。
さて、ポルトガルの北のポルトから世界遺産に選ばれた最初のポルトガルの王様が出た町に行く。飛行機でポルトガルに着くまでふと以前読んだ本のことを思い出した。日本のどの本で読んだのだろうか。それはおそらく江戸時代に日本にでかけたイギリス人の日本記のようなものだった。まだ人切りご免が横浜あたりに出没していて外国人がうろうろできない時代だった。どういうわけかポルトガル人が日本に住んでいて、その人が日本女性と一緒に山の人里離れたところに住んでいた。日本人妻がなくなった後も、毎日お墓にお花をあげて、ポルトガルに戻ることがなかったという。そのぼろぼろの着物のようなものを着ていた外人ポルトガル人は、実はそのあと日本で亡くなったのだが、あとで身元が分かり、ポルトガルの貴族でたいそうな館に住んでいた人間だったいう。侯爵の館を今回訪れ、調度品を見て石作りの瀟洒な古い館から日本の村でつましく日本女性と暮らし、最後まで身分を明かさなかったそのポルトガル人の男性を思う。古い石畳の旧市街を歩きながら、その話を思い、侯爵の大きな館の寝室に置かれた美しく刺繍の施されたベッドに寝ていたであろう侯爵が、なぜ愛のために日本の貧しい村の朽ちた家で女性と暮らして、亡きあともずっと日本にとどまっていたのか。男性がなくなり、多くの金貨が出てきたという記録を読むにつれ、優しいポルトガルの男だったならば愛のために去りがたかったことも理解ができる。その人は、特別だったのだろうか。
東洋は、ポルトガルやヨーロッパから見ると果てしなく遠い。海から出かけて行った昔の船乗りたち。今の時代と違い遠い旅、船で運ばれた数世紀前の中国の花瓶に日本人とも中国人ともつかない東洋の女性の姿を見るにつれ、貴族や侯爵の館で遠い東洋に思いをはせたのだろうか。経済があまりよくないから、ルーマニアからポルトガルの地方都市には乞食もやってこない。ほとんど移民も乞食もいない北のポルトガルの街の夜、ひとりポルトを飲みすぎたであろう酔っぱらいのおじさんが日曜日の人が誰もいなくなった夜の町中で、犬のように遠吠えでポルトガル語で叫んでいたが、ほとんど誰もいない夜の町は、一人ぼっちの酔っぱらいをのぞき、何事もなく静かに平和に更けていった。