スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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海外子女教育のデイレンマ

あることろで、インド人が最近インドに留学してくる母親と子供だけの英語を勉強する海外留学の韓国人の生徒が多いのですよ。という。お父さんだけは、国で働いて、奥さんと一緒に子供の語学留学にだすという。英語を学ばせることに躍起となる韓国社会。格差社会が広がってしまった韓国は、グローバル社会のいい点も悪い点も両方同時進行で経験している。グローバル化にいち早く漕ぎ出した隣国韓国は、国内市場が小さいことから20年以上まえからグローバルビジネス展開*今ユニクロが言っていること。をしてきたのだが、その魁は、サムソナイトのかばんだろう。

世界中どこの大きな空港では、サムソナイトの出店がある。最近は、サムソナイトのかばんを売っている中にサムソンの電気末端機も売られている。宣伝は、20年前にすでに各空港の例えば、荷物を載せる手押し車の後ろに全てサムソナイトのロゴがペインとされていた。サムソンの創始者は、日本の早稲田大学に留学し、温泉めぐりばかりして、あまり勉強しなかったといわれているが、最初は、韓国に帰って、中国向けのりんご輸出などから始めた。

その後紆余曲折を経て、現代の2代目王国となっている。韓国は、中小があまりぱっとしないが、大手企業現代、サムソンとエリートのエリートが受験戦争でしのぎをけずり一流企業に就職する。一昔前の日本のようだ。入社後の泊りがけの合宿がサムソンの会社人を作るといわれているのが、何をするのだろうか。韓国は、軍隊義務があるために、男性の根性はかなり鍛えられる。日本人は、責任感が強く、コレクテイブー一人で狩をするひとでなく、みんなで手分けをして田植えをする共同社会なので、みんなで遅くまで仕事をする。だから世界で日本人の労働時間がほぼ一番長いということになる。

日本の大手の工業メーカーの人とお話しする機会があった。わたしサムソンなんて安くたって絶対買わないわ。というと、実は、サムソンには、わが社の部品が買われていて、とてもいいお客さんなんですよ。ただ、値段はたたかれますけどね。サムソンの携帯は、自社で開発するというより、あちこちからの寄せ集め見たいなパッチワークですから、だから要するに集める親玉は韓国の会社ですが、あの中には、結構日本製品がはいっているんですよ。なるほど。。

さて、海外子女教育のデイレンマ。英語教育を学ぶために海外に留学に母子供で出す韓国人の考え方。アメリカやイギリスなど英語圏ならいいが、例えばフランスなどは、フランス語を学ばなければいけない。スウェーデンは、スウェーデン語となる。子供がどういう言語で、社会的な教養や、ものの考え方の基本を学ぶかは、どういう言語で教育を受けるかによるが、どの言語で知識を学ぶかは、きちんとその言語が習得されていなければならない。バイリンガルがゼロリンガルになる畏れを抱く親も少なからずいる。日本語を学ばせても、受験には関係がない。ただ日本語能力をつけさせて、日本語で読めたり、書いたりさせたい。これが日本に帰る予定があまりない親御さんの考え方であろう。

むしろ外国人的なアプローチである。両親が日本人の場合であっても、海外に長く暮らさざる終えない子供は、現地の言葉で基礎教育をほとんど受けるために、そこの国の人となる。知り合いにフランス語教育ですべての義務教育を受けた人がいるが、両親が日本人であるために、日本語は普通に話す。しかしながら、読めない書けないために、日本の新聞が読めない。話をすると普通の日本人だ。きちんとした東京のアクセントだ。が知識はすべてフランス語で書かれたもので受ける。頭の中は、戦前の日本人だといわれるんですよ。古いんです。という。日本語は、ベトナムの日本人補習校で少し勉強しましたが、読めませんね。漢字が特に。と話す。


同じくフランス語で教育を受けた知人の姉は、その後に、パリの大学で法律を勉強して企業専門の弁護士をしている。彼女いわく、姉の日本語は、フランスで会いましたが、ひどいもんですよ。ぜんぜん日本語がでてこなくてみんなフランス語に置き換わってしまうんですよ。私のほうがまだましかな。と言う帰国子女も結局一生住むために帰国しなかった。フランスの植民地を渡りあるいて今は海外で永住の棲家を見つけた。その知人の親は、夫を海外で亡くし、その後一人子供を連れて日本に戻り、亡くなられたが、海外子女になった子どもたちは、日本に住むことなく、一生フランスとフランスの植民地にいて暮らしている。

日本語を体系的に勉強しなければ、コミュニケートはできるが読み書きが難しい。海外に長く住んでいえると、日本語がおかしくなる。人事ではない。もちろんスラングなどは、どんどん分からなくなる。下手をすると70、80以上の人だけが使う昔の死語スラングを今もまだ使ってしまう恐ろしく古い日本語ボキャブラリーを平気で使っていたりする。例えば、今の海外に住んでいる人に@あらフォーってなんですか_と聞いても、多くの人は、ベトナムのうどんかな。とかさかなのあら煮です。など答えてしまうだろう。

海外帰国子女は、日本に帰ることを一定の基準として日本政府が補助している学校である。
帰国子女といわれる生徒のほうが少数派になり、大勢は日本語能力が帰国子女よりどうしても劣る現地の生徒が大勢の時に、教育の内容や指導は大勢にあわせた形となり、日本語をきちんと教えること、指導要領の内容が25パーセント厚くなったために、社会を減らして、国語と数学を教えるという。

小学校補習校で全く社会を教えていないということは、初めて聞いたのだが、言語は学科をクロスオバーして言葉や観念を学ぶものであるから、社会の言葉を学ばずしてどうやって観念や社会言語を身につけるのか疑問である。補習校で学ぶ子供が9年間日本の社会を義務教育の枠内で教わらずに大人になるという。

日本の憲法、歴史、世界の中の位置付けを教え、国を思う心や、日本の役割、工業、産業などをしっかりと時間をとり海外に住むまったく日本に帰らないかもしれない子供も含めて教えなければいけない。ああくまで理想論である。補習学校の校長先生も、講師の先生もみんな国語をまずちゃんとやらないと社会の教科書が読めないんです。とおっしゃる現場の声も無視はできない。小学校の補習校で全く社会を勉強していないのに、中学校で読めるわけがないんです。という。内容が増えた国語の指導要領をすべてこなすために社会が始めてなくなった現実をどのように考えたらいいのだろう。

結論は、餅屋の餅で、現場の教師の声が一番反映されるべきだという私の中で結論に達した。しかしながら、中学校に進学する多くは帰国子女が8割を占めるとするならば、週末土曜日の5時間の授業のうち数学を2時間、国語を3時間と3年間するよりは、社会を隔週で入れるなどできないのだろうか。ゼロと少しでは人生に大きく跳ね返ってくる。社会は、受験しなくてもいいが、基本的な日本国の憲法や社会のなりたちなどは、海外の学校で教えられるべきだと思う。現地の学校やインターナショナルの学校では、おのおのの国の社会やイギリスの議会などを教わるだろう。

願わくば、校長先生のおっしゃった国語の教科書の中で増えている社会や理科の要素環境問題などを通じて社会を学ばせる。そういう方針に期待するのみである。日々生徒と接している教師の声は、何よりも説得力があるのは確かで、理想論だけでは処せない問題でもあるが。一抹の矛盾と疑問が残る。あとは個々で海外子女をサポートする財団の社会などのコースを通信で子供に勉強させる自学学習となる。ほとんどの海外帰国子女を持つ親の心を横切るのは、自分の仕事で子供を犠牲にしたくない。という気持ちである。いやまだアフリカの部落に日本人が誰もいないところに赴任するよりはいいんですよと言う親もいるかもしれない。

今年の夏、大阪で夜通りを歩いている時に、有名名門高校お受験の塾の前を通りかかった。いつも10時近くまで明かりがついていて、中には子供たちが先生の話すことをメモしながら机に向かって勉強をしている。

夜9時半、10人くらいの子供が、窓ガラス越しに見ると明るい蛍光灯の明かりの元机を並べて勉強していた。こんな遅くに、子供たちは、一体何を勉強しているのだろう。黒板を見ると日本の議会制度である。夜遅く、大人たちは、ほろ酔いで歩いている時に、次の日本を背負う子供たちが、日本の議会制度を勉強していた。議会の仕組みをこんな夜遅くまで勉強している子供たち。将来のエリートを作る名門高校お受験塾がその子の将来にどういう影響を及ぼすかは分からないが。名門高等学校の受験科目には社会があるために、必死で勉強していると考えることができる。


日本の文部省教育審議会の関係者に知人がいるが、帰国の折に機会があるならば、海外の補習校における社会の教育の有無等にご意見を伺ってみたいものである。

補習校は、経営していかなければ、なりたたない。一生懸命に勉強する仲間がいて、中学校になると仲良しになるという。勉強だけでなく、友達のつながりで、みんな楽しい学校生活ができることがやはり一番。こうなったら社会科は、スウェーデン在住の日本人の親が小学校から教科書を買って理想的には中学校3年まで教えることとなるのだろうか。いいえ。必要ありません。だってスウェーデンのお受験、EUも、日本の社会なんてでないんですよ。とおっしゃる親御さんもいるだろう。まったくのデイレンマである。
一個一個の事柄は、これからは、暗記してもしょうがない。社会を体系的に学ばせる。何年に誰が何をしたというクロスワードクイズ的な社会の勉強する時代は終わりを告げ、どうしてこれが起きたのかという流れの中で歴史を学び、反省としたり、今後どうしたらいいか考えさせるという学習スタイルとなると思うのだが。
by nyfiken | 2013-12-10 21:45