スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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日本の古典と桜

日本の古典と桜_f0157298_1234330.jpg

Photo by Nyfiken 2014-04-19 Kungstragarden, Stockholm
ストックホルム中心の満開の桜花

スウェーデンは今が桜の花が満開となり春がようやく訪れた。イースターには黄色い水仙やカラフルな羽が北欧のシンボルであるが、やはり私たちの心には、子供の時代からお花見に親と一緒におでかけして見た桜の花が一生の思い出となる。
ストックホルムの街の中心部にある王様公園(ガイドブックにより王立公園と書いている場合もあり)の桜は、太陽の明るい光を浴び咲き誇っている。
 
古典の、昔のいろいろな人の話を語っている宇治拾遺物語は私のお気に入りの本だったが、中に多く桜の花にまつわる話がある。ほのかなユーモアがあって、うんちく話が多い。桜が見事にきれいに咲いたとしても(婉曲的に)やはり散ってしまう。潔く散る桜の花に日本人の心には精神的な美徳を見る。長い寒い冬を経て春がやってくる日本の山や里に、古木の桜が毎年咲く。桜の散ろうとも、はかない美しさに、咲き誇る一瞬の美を見出す。

宇治拾遺物語より

これも今は昔、田舎の児の、比叡の山へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きたりけるに、風の激しく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧の、やはら寄りて、「など、かうは泣かせたまふぞ。この花の散るを惜しうおぼえさせたまふか。桜ははかなきものにて、かく程なくうつろひさぶらふなり。されども、さのみぞさぶらふ。」となぐさめければ、「桜の散らむは、あながちいかがせむ、苦しからず。わが父の作りたる麦の花散りて、実の入らざらむ、思ふがわびしき。」と言ひて、さくりあげて、「よよ。」と泣きければ、うたてしやな。

日本の方言には、古語が多く残っている。古典を読むのがあまり苦にならないのは、案外古語の動詞にずいぶんと方言の動詞が使われているから?たとえば”うたてしやな。”のうたては、大変だとか、いやだという意味でもあるが、うたては、方言でおそらく地方に残り、”うたで”となり、(私自身は、この単語を方言においても使わないのは、男性的な表現となるからであるが、当然意味は分かる。)形容詞的に使われる。すなわち、うたでな。は方言で、シュに男性が使うのだが、大変だとかいやだ。という意味で今なお使われている。方言は昔の言葉が多いために、ユニセックスではなく、男性が使う表現と女性の語尾があり、微妙に違うので、方言をマスターするのは、日本語の標準語よりむずかしいが、地方に住めばたいていの外国人はアクセントからイントネーションが方言の日本語となる。お相撲さんの日本語がちょっとどすこい訛りがあるのも同じ。

さて、えんちごは、古典では、子供を寝かせる網んだかご
入れ物だが、方言でも、えんちことして単語で残っている。方言の単語と古典の単語には似通ったものがあり、面白い。言葉は時代とともに変わっているが、標準語がテレビやネットで広がる現代社会においては、古語は消えて行く方向となるのだろうか。

日本の古典と桜_f0157298_1303095.jpg

Photo by Nyfiken 2014-04-19 Kungstragarden, Stockholm
by nyfiken | 2014-04-21 01:11