日本で気になるシャッター通り
2015年 05月 13日
シャッター通り(シャッターどおり)は、商店や事務所が閉店・閉鎖し、シャッターを下ろした状態が目立つ、衰退した商店街や街並みを指す言葉である。
シャッターどおり【シャッター通り】
〔シャッターをおろしたままの空き店舗が多いことから〕
俗に,集客力を失った都市中心部の商店街のこと。
中心市街地の空洞化現象を表すキーワードの一つであり、特に商店街を指す場合はシャッター商店街、街並み全体を指す場合はシャッター街と呼ばれることもある。地方では1980年代後半頃から顕著化しており、身近な都市問題として注目されている。郊外に住宅地が広がり、車で郊外型のショッピングモールやセンターへ買い物へ行く。バブル崩壊後、安いスーパー型のジャスコやイオングループが躍進したが、専門店や老舗の商店は、店主並びに客の高齢化、また駐車場不備などでお客が車で買い物へ行ける郊外のお店に流れてしまった。
都市の駅前商店街にあったダイエースーパーが1950年代からオーナーがアメリカから安売りスーパーのコンセプトで日本のあちこちにオープンし成功をおさめたが、その後ダイエースタイルのビジネスが地代の高騰、駐車場の確保が難しいなどで低迷し、商店街の中にある大きなスーパーダイエーは姿を消した。バブル期前のマイカルは、理想的なおしゃれな店舗を横浜本牧に作っていたが、これも経営難でジャスコのイーオングループの傘下に入った。
アメリカを視察しビジネスヒントを得た代々続く呉服屋さんの岡田屋さんが70年代から大阪の豊中の他の会社ともうひとつの会社と一緒に立ち上げたAEONが40年以上たってここまで成功するとは、当時は誰も思わなかった。さて、現在のグループのトップは、民主党の岡田さんのお兄さんだが、三菱の全面的なバックアップもあるという。財閥と金融との強いつながりも、グループの成功の秘訣とみる。
山口県[長州藩)のユニクロといい、岡田屋さんといい、西高東低の日本のビジネスシーンは、明治の政府お抱えの商人が、政治家を輩出した四国の同じ村から財閥の基礎を築く人たちがでたことは、政治と財はやはり表裏一体は、いわずもがな世間の常識でもある。
東京と地方の格差は、新幹線が通っても、ネットで簡単に欲しいものが手に入る時代になっても、広がっている。逆に、街中の従来の鉄道やバス駅から発展した明治以降町の中心が空洞化している日本の地方都市構造に危機感を抱く。私の記憶では、1970年代の日本の地方都市や地方観光地は、むしろ栄えていたのではないか。町は変化しているが、時代の変化による町構造の変化は、我々の想像をはるかに超えているようだ。例えば、地方都市で青森市の駅前は、大手のホテルが買収され、地元の老人養護施設を経営しているやり手の病院経営者が買収に乗り出している。やがて駅前は、すべて病院経営者が持つ高級老人養護施設
となるだろう。昔結婚式を挙げられるおしゃれなホテルは、既に老人養護施設として買収されたと聞く。
30年前の日本から現在日本全体は、東京や大都市が新しく生まれ変わっているのに対し、地方の40年くらい前に栄えたお店などが後継者がいなかったり、時代の流れで街中の空洞化が目立つ。景気の悪いポルトガルを訪れた時に、売り店舗で閉まっているお店が多かったが、外国人が日本の地方都市を訪れて、おそらくびっくりするのは、ポルトガルやギリシャなどのように閉店しているシャッターを下ろしているお店が多いのに、驚いて景気の悪さを思うのではないだろうか。これは、同じお店が、ショッピングモールにお店をだしそちらのほうが集客がよいということも聞く。
日本全体の町の構造が変わっていく気配を感じる。戦後、駅前の商店街はにぎわい、戦争帰りの人がすでに10年以上もたっても、まだ道端でハーモニカを吹いてお金をもらっていたり、あるいはバナナのたたき売りがあり、商店街は、人で活気にあふれ、デパートの屋上では、子供たちが遊んで走り回っていた。デパートのお好み食堂も今の外資のファミレスのようににぎわっていた時代があった。屋上は、十分に青空が見えて、
デパートは、わくわくする素敵な場所だった。
町の活性化に必要なものは、次世代の若い人たちがそこにいる場所(遊ぶ場所というよりは)感性が育つ
場所、私が高校生の頃は、地方の町には、美味しいコーヒーを飲ませる種々のカフェやデパートが今より多かったし、映画館、お菓子やさんやケーキ屋さんがちゃんと機能していた。
空洞化シャッター通りに自治体などは、どういうふうに政治的に取り組んでいくのだろうか。商店街だけの問題ではなく、日本全体の問題となるならば、駅を中心に発展してきた日本の町構造そのものが変わるのだろうか。郊外ショッピングアウトレット的なショッピングタウンをアメリカ型に郊外にどんどん作り、従来の町の中心など、国の地方都市は空洞化してくのだろうか。世代の交代、後継者がいないお店は、看板をそのまま下ろさずにシャッターだけが下りている。
Nyfikenは、ふと考えた。店主で昭和時代を駆け抜けた人たちは、現在生きていれば80代半ば。病気もしくは体が動かず、かといって次の世代の後継者の子供たちは、都会の大学に行き、商売を継がない。親の持っているお店を壊すことはせず、そのまま看板のままが多い。
おせんべい屋さんの前を通ると、かつておせんべいがはいっていたガラスの入れ物の中に乾燥剤だけがはいっていてお店はそのまま。おじいさんの姿は見えず、老人施設で寝たきりになっているかもしれないが、お店に二度と立つことはできないが、家族はそのままお店を持っている。
また、町の床屋は、しめたままそのままの姿で立て替えもせず、そこにあるという理由を聞いたところ、息子たちが、親が一生けん命働いていた床屋を亡くなった後も思い出として残しているという。理由は種々様様。昭和の時代を生きて一生懸命日本を支えてきた昭和ひとけた生まれの人たちやその親たちが残してきたお店がそのまま、新しい店主を持たず、存在している町が日本のあちこちにできている。
宮崎県の例
町が消えてしまうことにはならないだろうが、商店街の取り組みは、政治的な指導や町全体の将来的なビジョンがなければデイケア―老人施設や病院だけが駅前に並ぶ町となる。都市の在り方を考えさせられてしまうシャッター通り。大型デパートの撤退など、駅前がなんとなく栄えなくなってしまう日本の地方都市は、どういう解決策を持ち、どう変わっていくのだろうか。
商店街は、イオンショッピングモールにお店を出し、すでに郊外型のショッピングモールに映画館、レストラン、駐車場を備えたモールに客を取られている。これは必ずしも日本だけの問題でなく、スウェーデンにおいてもショッピングモールの中には、夜9時まで営業をしていて、個人経営のお店は少ないが、チェーン店のお店で買い物をする若い世代には、人気がある。シャッター現象は、スウェーデンでは都市部では、次の店舗に新しいお店が入る。集客力をなくした商店街の解決策は、日本の成功した商店街活性化を例にするなど。日本全体の活力には、魅力的な地方を作ること。地方都市の旨みは、美味しいお食事に尽きるようだ。
魅力的なおしゃれな商店街作りには、若い人たちが、手ごろなお金でビジネスを始められることなど、多くの若い人たちの参入が必要だ。魅力的な町を作るには、シャッターがあがり、面白いしゃれたビジネスを生き生きとするマンパワーが必要であるが、その前にお客さんがいることが前提となる。ショッピングモール ジャスコやイーオンなどが作るモール展開は、専門店の商店街の衰退と逆であるが、これはオンラインショッピングと同様、高い家賃を支払って売る小売商の商売の難しさを物語る。
キイワードは面白い人たちが集まり
人と人が触れ合う町や商店街。牽引者が必要だが、カフェ、アート、おしゃれ、感性がある人達がどんどん集まれる場所というのは理想的であるが。昭和レトロの町。元気な昭和を思い出させる町が成功のキイワードとなる可能性もあり。いずれにせよ、地方の人ほど車で移動する。駐車場が無料となるショッピングモールなどや郊外大型店舗は、駐車場があまりない町の中心より行く人が多い。
江戸時代はお城や神社の周りに商店街ができ、その後明治後鉄道の駅や昭和にバスの停留所を中心にして町ができた時代から、今は大きな変わり目で、駐車場がたくさんある郊外店へ。どんどん町は様相が変わっていくことは確かなようでもある。
日本全体を元気にするためには、いわゆる町の活性化、次世代へ譲り若者が中心になって作っていく新しい町が必要となる。アナログのまま時間がとまってしまった町は、新人代謝がうまくいかず、レトロな町になっていく。欧米の例を見ながら、今後ともこの問題は考察していきたい。日本全体の活性化には、この地方都市や町の中のショッピングモール一極化だけでなく、専門店がいきいきと営業できるシステムが必要と見る。ひとつ中国の南の香港に近いある町を訪れた時、中国刺繍で有名なスワトウの町を思い出した。1900年初頭の古い町には、素晴らしい木彫りの装飾が施された洋風と中国の合体された建物がある。
ところが一角は朽ち果て、今昔物語のようにゴーストタウンになっていた。中国語では汕頭すわとう。この町は、中国においては、プラスチックおもちゃの世界生産のトップ、一代で香港フラワー(プラスチック)で財をなした華僑では世界一の富豪中国人華僑李氏がでた町である。(李投資グループが東京駅ビルを建てて開発して売却したというと財力がわかるであろう。)李氏の成功は、富を自分で独り占めするのではなく、病院大学を建てて寄付をし世の中に役に立てているところに彼の成功哲学がある。
人が集まり栄えた町は、1930年代から時間がたつと往年の栄えた姿は、幻となる。ゴーストタウンの老市の街並みの中結婚式を迎えるカップルがウェデイングドレスを着てカップルでプロによる写真撮影をしていた。広東語、小さなカップにたくさんお茶を入れてどこでも飲んでいた風景が思い出される。
お店も少しだけあいていたが、全てシャッターは閉まり、今にも崩れそうな場所のそばに、有名な観光の場所があったのでその町を通ったが、思いは複雑だった。少し離れた新しい町には高層の新しいビルやショッピングセンターができてマンションも建っている。100年たって栄えていた街中が、さびれてしまった顕著な例だが、平家物語ではないが、盛者必衰の理を思う。
城下町などは、お城に近い場所に商店街ができ、昭和時代もうまく全国で栄えていたが、駅前の開発で駅前が発展した後には、駅前を中心に商店街ができル一方で、新興住宅地と郊外型大型店が建つと、今度は駐車場を備えたアメリカ型ショッピングセンター場所がにぎわうという現状の日本の買い物ショッピング構造が理解できる。
日本は、ヨーロッパ型の専門店の集まる街の中のスタイルと大型駐車場を備えた郊外型アメリカ型ショッピングモールの狭間で揺れてきた過去30年、結局は、郊外のモールに多くの人が集まる構造になりつつあるのではと感じるが、一流店のものがあるわけではなく、昔ながらある駅や街中のデパートで、良いものは手に入れるという買い物の2重構造、+ネットショッピングとなる。ゆったりと楽しくおしゃれにショッピングを楽しむ空間を演出できる活性化した町には、多くの人の知恵とやる気と協力が必要なのは第一だが、古い世代から新しい交代が、きちんとできること、今の20代と30代の新しいビジョンとがんばりが日本の町の商店街の活性化には、必要なのは確かなようだ。発展のKey wordsは、何なのだろうか。
町おこし how to activate townを調べていたら、北海道のこの町が出てきた。こういう若い人の力を借りて町は魅力を増して行く。すなわち、フィンランドのオーボという町があるのだが、そこは、ストックホルムから船でも到着する教会が町のメインの静かなところ。とりたててあまり興奮する材料もない町だが、旅行客を集める宣伝や町の魅力がパンフレットでじつに上手に宣伝されている。今後、観光地は、町そのものにも魅力が必要とされるにあたり、シャッターが下りてしまった寂しい町を変えていく必要がある。
北海道に遠別町地域おこし協力隊があるが、Facebookなどを使い上手に町を見せる。行政だけでなく、こういった志がある人たちのパワーは侮れない。
日本は雨が多いので、全天候型のアーケード街商店街ができたが、閉塞感は否めない。
地代が高く、商売がそこでは成り立たない。高い家賃を払うと儲けがでない。地方都市の過疎化。老人人口が増えていることなど。お店が、老年の人たちを対象にしているなど若い人が来ないお店つくり。経営者や顧客共に老齢化により活力減など。
さて、スウェーデンにヨーテボリという町があるが、この大きな町と小さな町を合わせた両方の良さを持っている都市を紹介したい。この町に町の活性化のヒントがあるような気がする。休みの日に出てきたくなる街には、ゆったりと座って休めるカフェや自然の公園やおしゃれなお店がある。
それはウプサラでもなければ、ストックホルムでもない。日本の地方都市のシャッター通りの解決策は、商店街だけががんばっても無j理で、地方自治体と一体となった町つくりを再構築する30年計画をしてようやく実現するものかもしれないと思うようになった。
アメリカのように、車かタクシーでいかなければ、(ワシントンDCの空港から一番近いショッピングセンターもおいているものは、日本のデパートより質があまりよくなく、それほど心惹かれるものはない。食べ物に関しては、ファストフードで美味しいとは言えない。)いずれジャスコやイオングループも前のダイエーのように衰退する時代も来るかもしれないが当面、アメリカスタイルショッピングモールに目をつけたジャスコイオングループの一人勝ちは、昭和のダイエー帝国を思わせる。
個人店主の限界は、スウェーデンでも洋服のチェーン店やお店のチェーン店を図り出店するスタイルを見るとわかるが個性や面白さというならば、個人経営者だが、地代を出し、お店を作って儲けに限界があり、大手にかなわない。モールの考え方は、テナント貸しの不動産業と借りる側の利害が一致しているので成り立っているが、なぜ、駐車場もあり若者を狙い、理想的な街中の市民図書館を入れたショッピングビルが地方都市の駅前で借金にあえぐのか、経済学の専門学者に解決してほしい問題である。(例 青森市の駅前新町通りのAUGA)
現在は、20パーセントが空き家と言われている。更地にすると固定資産税が上がるということが問題だという。取り壊したくても取り壊せない。古家をそのまま残す人たち。取り壊し費用がない。相続をしてもそのまま放置する。財政上の理由が多いという。空き家率が増えることも予想される。2040に、空家率は50パーセントになるという。日本では、20年たつと持家の価格はゼロとなり、土地値だけだという査定も、問題である。
土地を所有する地主は、家を作らない、税金が高くなるために更地にせず、老朽化した家を放置する。浮浪者が来て将来的に治安が悪くなる可能性もある。これは、政治的に解決される問題である。貸家が余っている現状、空洞化は商店街シャッターだけでなく空き家まで広がるのだろうか?
シシリア島の田舎に朽ちた空き家が増えていることを思い出した。1ユーロで売り出したことも(修復の値段は負担する)
なぜ日本には、放置された空き家が増えてしまったのでしょう。