スウェーデン映画 Grabben I graven bredvid(隣のお墓のお兄さん)
2008年 02月 10日
スウェーデンの田舎のおにいさんとストックホルムの都会のおねえさんの切ない愛。この作品は愛についてふと考えさせる。スウェーデンの映画は胸をうつものが多いが、この作品もすばらしい。最後は、胸がきゅんとなる。
都会育ちのベジタリアンの図書館につとめている彼女と田舎の乳牛農家の男の愛。大きな環境の違いが、ふたりの愛にどういうふうに影響をあたえていくのか。ロケはLULEÅの本当の乳牛農家とストックホルム。観ている間にせつなくなってくる。田舎のベニーは、学校ですべての教科がトップだったのに、親の跡をつぐために、高等教育をうけていない。たまたま成績表をみた彼女が”こんなすばらしい成績だったらなんだってできたのに。”
そのひとことが、とても傷つけた。"親がせっかく精魂込めてずっとやってきた牛たちを手放して、学校へいって、図書館書司になったほうがいいというのか。(デジレーの仕事がそう。)”
農家が農家を守っていくことの大切さを感じた瞬間だった。
ベニーの会話で”田舎の農家には、都会とちがって、ぱぱの産休なんてないんだよ。だってあかちゃンの世話をするって、休んでいたら、牛たちはどうするんだ。かわいい牛たちが、えさもまってるし、ミルクをとらなきゃ、だれがするというんだ。”パパの産休があたりまえのスウェーデンの状況は、田舎の農家にとってはかならずしも権利があっても実質的に労働の首となって働く男達には無理だということがわかって、驚いた。
都会のサラリーマンがとるパパの産休は、たとえ権利があっても、田舎の農家には通じない。牛乳を搾乳するためには、牛の世話は、毎日休みがないんだから。とベニーがいう。
”わたしたち二人は新しい関係にはいったのよ。"と女性のデジレーがいう。"関係ってどういうこと。”男性のベニーがききかえす。友情?フィアンセ?
デジレーの友人がいうことばも意味深だ。"彼はインテリじゃないのよ”というデジレーことばに、”あなたって、愛するとき、人の頭の脳みそを愛するのそれとも心ハート?”これは、この映画の中のかなりパンチのあるせりふだ。このせりふでいろいろ考えてしまう女性もいるのではないかしら。
最初から、デジレーがあんな田舎者の男なんて、まったくわたしのタイプじゃないわ。というせりふがあるが、どんどん映画のなかでは惹かれていく。それでも、友人たちには、わたしのタイプじゃないの。
メークをやスタイリストもとてもいい。担当したひとも、最初は、未亡人でベージュの洋服しかきてなかった彼女がどんどん変わってくる。都会のスウェーデン女性があかぬけた雰囲気のある洋服のセンスもシックでありながら、色の使い方など絶妙。ぼうしとマフラーの色使いや、友人のデイナーにおよばれされたときのすてきなシックな洋服。と北欧らしいさりげないアクセサリー。
スウェーデンの食文化も映画のなかでかいまみる。シェットブーラースウェーデンの肉団子がやっぱり重要な役割。随所にでてくる。
田舎の彼の家にやってきた夜。なにか作ろうかということになって、冷凍庫から肉のかたまりをベニーがだして、"あ!肉があるから、肉団子ができるよ!”とうれしそうにいう。
そこで、彼女はわたしは、ベジタリアンなのよ!肉なんて食べれないわ!”がっかりするベニーの顔。
そして強いお酒。伝統的なスウェーデンの食文化は、むしろすしやピザ屋(1970年代にはじめてスウェーデンにやってきた。)がある都会と田舎ではまったく違う状況であろう。ストックホルムの都会にでてきた田舎の若いひとは、今日はすし。あすは、タイ料理。そして中国料理とインド料理。とめずらしい料理屋をはしごするのかもしれない。
”彼女はベジタリアンだから、肉団子だって作れやしない。”というベニーのせりふや、田舎の近所のひとたちと強い酒を飲むシーン。ベニーの近所に住む仲良しの友人の妻が肉団子を作ってくる。"あまりお料理をしないってきいたから。肉団子をつくってきたわ。”
ふたりが距離をおき、お互いはなれていたとき、彼には新しい田舎の平凡な女の人ができた。そのシーンでも肉団子を鉄の厚手のフライパンでバターでじゅっと焼いているシーンがでてくる。まさに肉団子はスウェーデンの男性にとっては、お袋の味。日本だったらなにかしら。と一瞬考えた。
アル瞬間に突然、彼女はかたくなな気持ちを捨てて、もう一度彼のところに戻ろうとして、車を走らせる。ひさしぶりに訪れた彼の家。
きれいにかたずけられた、キッチン。ひらひらしたレースのカーテンがかかっている。テーブルの上には、お花が花器に。牛小屋にいくと、彼が。愛しさ余って走り寄るとそのまえに、いかにも田舎のおねえさんが立っている。彼はうつむいている。ショックで車にのり涙でお化粧がぐしゃぐしゃになりながら、帰る。忘れようとして、友達とお酒を飲みながら、ゆきずりの遊び人の男と過ごすが、無責任の遊び人の男に、愛など感じるわけがない。うしろにたばねていたプラチナゴールド色の髪を男性がほどいて自分をうっとりみている男が、鏡の前で洋服をきている時に、彼女はこのおとこはだめだと感じる。そして、いままでいたところから引っ越し。
一度彼女が戻ってきていらい彼女のことをずっと考えていた男は、眠れない日を続いていたが、ある日街に会いに行く決心を衝動的にする。謝るためだ。
大型トラックにのり引っ越しさきに向かう。男は、彼女のアパートにくる。彼女を愛していると気がついたのだ。ドアをどんどんとたたきながら、男は必死で謝る。しかしあぱーとは、もぬけのから。ほんの少し前に彼女は、引っ越しの車に乗ってそこを発ったのだ。
彼女は、なき夫の墓に、たちよって、バラをおく。そして隣のベニーの両親の墓のうえにも赤いばらを。男はもぬけのからのアパートから車を走らせ、途中両親のお墓に行く。
赤いばらが。そして、信号を待っているときに、反対側にトラックの助手席にのっている彼女をみつける。車をユータンさせ、猛スピードでトラックをおいかける。
そこからクライマックスをむかえる。二人はどうなるのだろう。その結末は、映画をみてのおたのしみ。おいしいお料理を食べたあとの感じがする映画というのはいいものだが、この映画もそのひとつ。すばらしい。
スウェーデンも階級社会である。オーバークラス。上流階級。労働階級。中産階級。そして移民たち。また都会と田舎の農家の生活は日本の差より大きいかもしれない。スウェーデンの人が、愛をどのように考えているのか。自分たちに正直に生きる愛の姿がみえてくる。
トヨタのハイラックスが映画の主人公農民ベニーの車。オレンジ色のハイラックスが、この映画の別の主役でもある。ボルボの国スウェーデンで農民の乗るTOYOTA。なんだかじーんとくる。北欧の田舎の農民たち、乳業を陰でささえているTOYOTA。ぜひ日本で上映されることを希望する。スウェーデンの都会の人の生活、農家のひとの暮らし。かわいい牛たち。。。最後に流れた音楽もいい。俳優、女優ともによく演じている。農家の男性を演じた俳優に花丸をあげたい。
スウェーデン映画のタイトル
Grabben I graven bredvid(
隣のお墓のお兄さん。直訳)
★★★★★
都会のスウェーデン女性と酪農農家の田舎の男性の甘くてせつないラブストーリー。スウェーデンの田舎や都会の暮らしをかいまみることができる。
(DVDもしくはビデオでスウェーデンにて入手可。邦訳はされていないが、英訳はさだかではない。)