スウエーデンの面白いものたち


by nyfiken
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スウェーデンスタイルー除雪システム最先進国

冬の北欧は、真っ白な雪とその白さゆえに、大地が、街が明るく太陽光が少なくても気分が救われる。白色の雪と反射光。神は、偉大だ。今年の冬の間中、枯れた秋の景色が続いた。雪を待ちわびるストックホルムの子供達。雪そりも雪仕様のブーツもはやばやと半額セールとなった。街の中心にある公園クングスゴーデンや私の住むアパルトマン近くのバサパーケン公園にアイスリンクが作られた。スケートを滑る子供達の姿。つららがない。雪の降らないストックホルムの除雪車は、車庫にはいったまま春をむかえた。大きな除雪車。トラック。小回りのきく歩道用の小さな除雪車・雪を吹きとばす機械。ベランダにつもる雪を吹き出し口から強い風を送り、外へ吐き出す機械。スウェーデンの除雪の機械。首都が、むかしから雪対策に力をいれている。年々いろいろ考え、まじめにとりくむ。税金が投入される。今年は、そういった機械がほこりをかぶったまま。地球温暖化とひとはつぶやく。

このことは、雪国の秋田や青森に冬中、雪がふらないことくらいに相当する。記録をぬりかえた。青森や秋田に一度も雪が降らないと想像してみる。冬でも八甲田山へ雪がつもらないとなると、日本は今の赤道のような国になっているだろう。みんな色も黒くなるだろう。時間がたつと太陽光に強い人たちだけが生き延びるかもしれない。もしそうなったら、日本の豪雪地帯のひとは、色が黒くなって、やっと除雪の弊害から逃れられる。秋田や津軽の色白美人は遠い昔話、むかしむかし、色の白いお姫様白雪姫が。。という日がいつか訪れるのだろうか。そうなったときに雪国の過酷な戦いが終わる。


雪は、旅人にはいつもロマンチックで美しい。住む人にとっては、砂嵐とおなじくらい負担となる。老夫婦には、きのうまでできていたことが、ある日できなくなる。若者がいない所帯では、おとしよりが、体にむちをうって雪をかたづける。平均寿命の短いといわれる東北の背景は、単に済的な問題だけではかたづけられない。行政側のかゆいところに手が届かない、きめのあらい対策。中央政府の無関心がある。おねがいしますの地方役人は、中央では”あ、そうたいへんだね。”で終わる。おみやげの銘酒幻の特選田酒を両手にさげて参上しても、剣もほろろだ。青森や秋田のくちべたな政治家は、くちべたが災いする。怒れ!もっと怒れ!怒りを表現して!お茶の間で、仲間内で怒っていても、なにも始まらない。地方新聞には投書の怒りの声が掲載される。おひさまがさんさんと降り注ぐ、おふとんをほして、ねこがひだまりで、うとうとする東京に住むひとには、まったくぴんとこない。北極か南極の話みたいに、遠くでおきた関係ない話。地方政治家の怒りの声など、国会の議員は、半分いねむりして夢の中のたわごとにしかきこえないだろう。だって北極のくまさんがどうかしたっていうはなしでしょ。いや南極のペンギンも大変らしい。そうして毎年、地方は、やり場のない閉塞感のなかで、冬を迎え、冬と闘い、そして春をまつ。

お人好しの県民性だけじゃ、これからの世の中は美徳とならない。平均寿命最低と東京のひとがはははと笑う話の種にしかならない。じゃあどうして日本国民で一番寿命が短いの?医療が悪いの?給料が低いから?そういう表面的な理由にされてどうしてだまっているの?どうして整形外科の個人医が午前中に200人の外来リハビリで連日混雑をしているの?もっと大きな声でくちべたなひとたちよ、訴えてほしい。遙か北欧に住むわたしが、ストックホルムでひとり、大きな声で叫んでも、たかだかしれている。地球のはるかモスクワやフィンランドより遠い北欧のスウェーデンで、たすけてくれという日本の北国の住民の声をキャッチしても、無力な私だ。もし政治家なら、国会でこぶしをふりあげる。税金をおさめても、生活がいっこうによくならない住民の声を国中に訴えるだろう。怒りをもって叫ぶだろう。税金のコストパフォーマンスをよくするためにどうしたらいいか。

スウェーデンの除雪対策を、日本政府、青森、秋田、山形など豪雪地域の県知事や担当職員が学んでほしい。除雪システムは、朝方まで人が寝静まったころ夜通しで行われるのは、日本もスウェーデンの都市も同じだ。問題は、やりかたにある。ステップ1からステップ5まであるとすると、日本の除雪のやり方は、お金がかかりすぎるという理由で、ステップ3でおわる。除雪は、ブルドーザーで雪を両側におしていき、観光名所になりつつある八甲田山の冬の道3メートルの雪の壁ではないが、1メートルの壁を作っていく。両側に家があると想像するといい。朝おきて、雪と氷の壁を作っていった除雪車の後始末を住民がする。それが、億単位かけているという日本の最先端の除雪レベルだ。世界に誇るトヨタも日産も本田もマツダもソニーもテクノロジーロボットもすばらしい。そのかげに、おきざれにされていること。戦後必死に廃墟から立ち上がるために働いてきた60代70代80代のひとたち。いまだ、体にむちをうって、雪を雪捨て場まで運ぶ重労働は、改善されないのは、どうしてなのだろうか。人権などない。強制労働が日本に存在するなら、冬の青森市街の住宅地へ足を運んでみよう。どうして青森県が日本で一番短命になったのか一目瞭然だ。強制労働。このことばしかない。政治のシステムの中で強制労働させられる老人達。先祖から続く土地からは,お墓を捨てて逃げるわけにはいかない。


こしのまがったおばあさんが、雪の中、一生懸命雪捨て場に雪をそりにのせて運ぶ姿がみえる。そしてそのあと、しばらく姿が見えないと思ったら、力尽きて、死んでいる。どうして人々は黙っているのだろう。騒いでも、なにも変らないから、疲れ切ったひとは、声をだすことすらしなくなった。老人強制労働は死ぬまで永遠に続けさせるのだろうか。日本の恥である。ソニーやトヨタや優れた技術をもつ日本が、抱える矛盾。今の若者を育ててくれた人々をねたきりにしてから、あとしまつという後手にまわる対策。システムを変えなければならない今、どうして積極的に、よいモデルをもっと真剣に海外にもとめないのだろう。きまった除雪対策委員が、しめきりまで、徹夜して狭いオフィスで、コンピューターにむかってもいい案は浮かばない。


”わたしたちは、一人暮らしの老人には、援助しますよ。”それでは、甘い。ざるに穴がたくさんあいていて、そのひとつをうめても他の穴から水がもれる。一人暮らしでも二人暮らしでも、3人暮らしでもいい。70才の息子夫婦に95才の両親の家族がこれからは、増える現実がある。ひとりひとりに援助金をだすのではなく、根本的な除雪作業をどういうシステムで展開するのか。今の予算をふやせないからできないのではなく、今の予算でどうやったら、ストックホルム市内で行われているスムーズな除雪作業。雪を屋根からおろして全部もっていくシステムをどうやったら作れるのか。どういった除雪の機械を使っているのか。人件費が日本の倍は高い税金23パーセントの国でどうやって少ない人数で手際よく、除雪をやるのか。特使をきちんと送り、十分に時間をとり(とんぼがえり出張などやっているのは、世界でも日本くらいだ。)会議や事務所まわりで終わるような、片手間の出張はやめさせ、たっぷりと自分で調査できる時間をあたえて、はじめてその出張費は生きる。




除雪システム視察旅行を春から夏にかけて、計画し、ミッションを世界に送ることだ。そして、国会議員は、高輪のスポーツクラブで汗を流す代わりに、全員、豪雪地帯の除雪システムの状況を把握すべく、住民宅にいき、一緒に雪をそりにのせて、雪捨て場まで運ぶのを最低一時間3日間やって雪国で汗を流そう。すぐに、おなかの余分な肉がとれるだろう。その上で討議がはじまる。ホテルオークラのラウンジで、3000円のベジタブルカレーと1000円のコーヒーを素敵なお庭をみながらいただきながら、北国の除雪問題を語っても実感はわかないだろう。選挙の時だけ叫んでも、もはや住民や国民はだまされない。言葉より行動。アクション!我々は、言葉で、もはや判断しない。

若い子供たちは、田舎から都会の大学へ、就職をする。子供達は、就職が少ない田舎には残れない。年寄りだけの所帯が、田舎を必死で先祖代々のほこらと家をまじめに守っている。こどもたちは、後ろ髪をひかれ、親を遠くで哀しく思いながら、今日も都会で必死に働く。


雪の壁にうもれる人々はどうしたらいいのだろう。スウェーデンならば、人々はヒステリックに行政に電話なりメールなり、抗議がやまないだろう。デモも辞さないだろう。でも無力な腰の曲がったおじいさんもおばあさんも、家の前の雪をかたずけることで、体も心もぼろぼろになる。声をだす力も残っていない。屋根の雪がとけるシステムがあります。コンクリートのたたきは全部下に電気を。しかし、老人の古い家を壊して新しく家を建てる余力のない所帯には、当てはまらない。除雪の雪で学校の校庭にスキーのスロープを作ることなど、雪の有効利用はないのだろうか。北欧ならば、政治家がもっとがんがんと騒ぐだろう。除雪業者のおいしい料理に舌包みはうっても、無力な老人達はおきざりだ。一部の金持ちは、毎日一万円払って除雪させるだろう。でも月に30万払いたいひとはいるのだろうか?今のシステムをかえないかぎり、方策を呈示しない限り、日本の豪雪地帯の被害は、温暖化であっても永遠と続く。しめきりがくるまえぎりぎりに、予算をどうやって使うかをひとりかふたりの担当者が、すべてを任されて、徹夜でやるようなことを続けているかぎり、東京以外の地方の人たちは、置き去りにされる。また薩長が怒る時代がくるだろう。

八甲田山の名物雪の壁3メートルは、旅行としてはおもしろい。八甲田山の雪の壁が青森や地方都市の住宅地に出現するのは、迷惑だ。。3メートルはおおげさだが、ほおっておくと簡単に1メートルになる。それは、どうしてか?ストックホルムで普通に除雪作業でおこなわれるステップ4と5が欠けている。今のトヨタなどの技術力がある日本なのに、いまだ万里の長城を作った大昔の中国人のような重労働を、県民の老人に課すのは、戦後今日にいたるまで、いたって策がない。沖縄の老人が長生きするのと秋田や青森の東北の老人が長生きできない大きな理由がここにある。



日本では、除雪車が住宅地を通ったあと、下から硬い雪も重い雪も両側の家の前に壁をつくっていく。人々は、まず家の通路を確保する。そして70才以上の住民の多くは、家の前の壁をスコップでセメントを運ぶような台車やそりにいれて、500メートル以上離れた、雪捨て場へ運ぶ。最初は運動と思ってするという。しかし、運動どころか、過労で倒れるひとが続出する。雪は重く、氷がまじるとまるで道路建設現場で働く人と同じ労力を必要とする。夫婦で2時間3時間これをする。うそだと最初耳を疑ったが、うそではない。30往復を夫婦で。これをしないとどうなるか。八甲田山の雪の壁の道が、住宅地に出現する。除雪車はくる。車道につもった雪を両側に押して去っていく。壁との闘い。一度体験除雪をしたが、その夜わたしは、めまいと過労で横になってから、朝まで寝れなかった。

ストックホルム市内には、例年雪がどんどんと降る。放っておくと100年以上古いアパルトマンの屋根の上にどっしりと1メートル近い雪がつもりそうになる。その前に、屋根から雪をおろす専門のひとが、アパルトマンごとに上からおろす。上でおろす人。危ないのサインを下でまわして、一人みるひと。下の車道におろされた雪は、小高い山となる。その雪は、すべて待機している小さな除雪車がトラックの後ろへ移し、残らずすべて持って行く。除雪は、大きなブルドーザーで雪を前に押しながら、途中に山をつくり、その山の雪をすべて、トラックで持って行く。


両側に寄せて除雪と言っている日本のおざなり除雪対策は、雪国のおとしよりをどんどんと殺していく。これが日本の豪雪地帯で行われている除雪行政。われわれは、何億もかけています。という。雪は、きりがなく降りますから、これは、雪がわるいのであって、どうにもなりません。果たしてそうだろうか。やろうとしないからできない。お金がかかる?もっと競争をさせて、除雪のやりかたを根本的に考え直す時期にきているのではないだろうか。おおきな人が住まない官庁街だけは、ひろい車道の確保と安全面ということで、近年ようやく本物の除雪が行われる。除雪業者を決めて下請けに任せるのではなく、行政がシステムをつくり、自分達で企業を経営する気持ちで取り組むことが今求められているのではないか。


青森県が日本で一番短命といった結果がだされた。背景には、除雪による住民の多大な負担がちらちらみえる。政治家は、あまり深刻に考えていない。目線がいつもおかみにある。実際住民の目線でものをみているのだろうか。東京の雪のない冬に、除雪対策の話をぽかぽかした議員事務所できいても、ふんふんとうなずく割には実感をともなわない。やはり、秋田や青森の75才老夫婦宅で3日間、一緒に政治家も雪かたずけをするべきだ。多くの人は、雪害を天災とみる。あら大雪がたくさん降ったのね。地震や津波と同じレベルでみる、人間がどうしようもない天災。実は違う。人災なのだ。


人災とは無策の政治的な結果が、きちんとやり方次第では、解決できる問題だ。やる気があるかないかの問題だ。普通の住宅に住むひとたちが、腰がまがってあした死にそうなおばあさんやおじいさんたちが、子育てもすべておわって人生最後の力をふりしぼって、死ぬまで除雪システムの欠陥の犠牲となるのだろうか。八甲田山、雪の壁3メートルもどきの除雪車が両脇につくったこおりと雪の壁をスコップでくずし、氷を切って、それをそりにのせて雪捨て場まで雪道を3時間運ばせる。行政はいうだろう。いやわれわれは、そんなことひとこともやりなさい。といっていませんよ。法律にも条令にも書いておりません。みなさんが勝手にやっていることです。われわれの責任ではありません。家がつぶれて、老人がはやばやと寝たきりにさせ、医療費がかさむという悪循環を作るシステムを黙認する政治家の無力は、断じて許されない。


これは、現代の日本の強制労働もしくは、人権問題に発展しても本来はおかしくない重大な問題である。住民は泣いている。その声が聞こえないのだろうか。日本にいない遠く離れているわたしには、聞こえてくる。そしてストックホルムの除雪対策をみるにつけて、お金の問題ではなくやりかたの問題であると気がついた。人件費が日本より高い北欧で、どうして少ない人数で、スマートに処理できるのだろうか。雪の壁などみたことがない。


おざなりな除雪対策。まったく進歩がない。除雪業者は、いわれたよおうに一生懸命仕事をしている。彼らには、責任もない。あるとしたら、お金のない地方行政だけではなく、国政の問題だ。次に老人になりうる若い世代がいまから、自分達の老後の負担を少しでもすくなくするために、大きな声で政治に訴えなければならない。また批判するだけじゃ、野党とおなじ。ならば、どういういい方策があるかを真剣に考える。そこに住まないわたしが、日本の雪対策にやきもきし、ストックホルムで、遠く祖国を思いじだんだふんでいるのは、滑稽だ。外は太陽がきらきらと輝いている。でも除雪で苦しんだ日本の豪雪地帯のおとしよりのことを思うと、なんとかしたいと思うのだ。政治家は、なんとかしたいという国民の思いで国をよくするために、選ばれた幸運な人たち。真剣に行政と政治家が日本をもっといい国になるように努力してほしい。一歩前進。一歩でも改良。これは北欧の人たちが、得意とするやりかただ。おしてもだめならひいてみる。スウェーデンスタイル。計画。改良。すこし傍若無人。勇気。ヴァイキング魂。


雪作業は、下請け業者にまかせるのではなく、、失業で困っている若い元気なひとたちを導入する。少なくても半年前以上から、冬働く人たちを行政が、公募する。除雪ボランテア職員。もちろんお金は払う。温泉つきの地元のお料理付きだ。冬あまり客がこない旅館などの活性化にもなる。

行政がもっと頭を柔らかくして雪対策に本当に取り組んだら、少なくても、死ななくてもいい老人達や親たちは、救われるはずだ。対策費が億に近くなると、その金銭に麻痺してくる役人は、締め切りまでの徹夜作業の中、考えるのがいやになる。いつもの業者。例年とおなじ。やまのような膨大な書類に印鑑をおしてもらう作業のくりかえし。煩雑な日本の事務システム。トップの一存でなかなか決められない。ひとつの懸案が通るまで、回覧板よろしくまわるじれったいやりかた。効率が悪い。日本が決定が遅い役所の煩雑なスローなシステム。

スローなシステムは、日本国内だけの問題にとどまらない。海外の災害時に、すぐにコメントを発表できない日本。慎重なのだろうか。被災地では、人々が、停電の中、ラジオで台風情報を夜通し聞いている。屋根が吹き飛ばされ作物も全滅した小さな島の村人。そこへ、アメリカ大統領の、心より被害者のみなさまへ今回の被害へのお悔やみを申し上げます。"のメッセージが読み上げられる。オーアメリカ、サンキュー、ジーザス。”アメリカは、心にかけてくれているんだ。ピースコーボランテイアのジョンくん。よくがんばっているなあ。。次は、中国の首相のコメントがはいる。、"オーチャイナ、タンキュー!”


翌日忘れた頃に、日本政府が、一番大きな援助額を呈示しお悔やみを述べる。誰もラジオなんてきいていない。風でなぎたおされた畑にいって、ラジオを聞く暇がない。今大使館へ問い合わせています。あしたまでレポートがあがるはずですが。インターネット英語ニュースやジャーナリストレポートをみたら、一目瞭然だ。日本は、3歩遅れる。迅速なメッセージをラジオで伝えることは、真心が伝わる。


日本の役人など、出張の例でいうと、会議がある二日間しかヨーロッパに滞在できない。”はい。ホテルと会議場の往復でおわりました。税金ですからね。それ以上はいれません。”これで、どうして日本の遣唐使がつとまるのだろう。公費の考え方はもちろん尊重される。しかしせっかく公費を使って欧米に会議なりにだすならば、会議場とホテルの部屋しかみない余裕のないことは、これからの若い世代にはさせないことだ。また、出張の時に現地にいる日本人にちょちょっと意見をきいてそれをレポートにまとめるカンニング参考書勉強方はやめよう。自分の目で見えたもの。自分でどう感じたのか。他のひとのガイドブックを3冊まとめて、自分のガイドブックのように書いても、いい意見もうかばない。回答さえあえばいい受験生的勉強法は、いけない。自分はどうかんがえるのか。見てて、考える。この時間を企業や国は、出張者へ与えるべきだ。ばたばたと出張してばたばたと帰る。会議は、ふつかですね。じゃあ翌日帰ってきてください。そうしてばたばたと課題のレポートをまとめ、ばたばたと次の仕事につく。だからいつまでたってもよくならない。

会議が終わった翌日一日、視察する時間を設けることが、大変役にたつ。会議で知り合った外国の人たちと一緒に観光をすることだって、将来のビジネスの展開になるかもしれない。会議に余裕をもってでる。また会議後に、他国の人とゆっくりとお茶をのんだり、あるいは交流することの機会を与えることなど、またその国のシステムや様子をうかがうことは、仕事に少なくてもいい影響を与える。とんぼ返り出張を美徳と日本がまだ考えているならば、それは大きな過ちである。

春がきて、雪のことを思う。除雪であけくれた老人達は、春になるとほっとする。疲れが春でやすい。春になると、ものごとがよくみえてくる。そうしてわたしは、明るい太陽の下で、除雪の問題をふと思い出す。スウェーデンで日本の除雪問題を考える。日本がスウェーデンスタイルの除雪のシステムを学ぶことを望む。機械だけではない。システムだ。雪を集め、それを持って行く。地方自治体がやる気をだしたら、できるだけのことだ。住民の負担は、老人で倒れて寝たきりのひとをどんどん作る。老人医療費や介護費を減らすには、別なアプローチが必要だ。沖縄人の長生きのひけつ。とドイツのある雑誌の見出しにあった。ドイツの雑誌では、どうして沖縄の長寿県として日本で有名なのか。その理由を鋭く分析していた。


スウェーデン語から推測すると、温暖な気候。くよくよしないこと。近所のつきあいや親戚のつきあいで孤独にならない。日本食、大豆や海藻などを食べる。ブタニクを好む等々。にがうりを食べる。食生活。そうもし、沖縄県民をそっくり青森に移住させ、青森県民をそっくり沖縄に移住させてみたらいい。沖縄県民が、目が覚めた瞬間に、八甲田山の雪の壁3メートルと見まごう巨大な雪の壁におどろく。住宅地に、夜通し作った雪の壁。除雪車で、雪を道の両側へおきざりにする。毎日その雪をかたずけているうちに、沖縄DNAの青森へ移住した老人はほとんどねたきりになるだろう。過労。重労働。万里の長城を作って力尽きて死んでいった人たち。税金を払ってなおさらに、そういった労働をしなければいけない現状はどうしてなのだろう。国会議員の北極での話というような生ぬるい認識不足はすべて今の地方行政への無理解に通じる。江戸幕府を倒したのは、地方の薩長だ。西郷隆盛の怒り。中国の人権問題に腹をたてている日本の国会議員は、まず、日本の東北の老人達の人権問題を考えるべきだ。



ストックホルム除雪システムを視察されることを心から学ぶ。いいところはどんどんとりいれる。これが日本の歴史上我々祖先が率先してやってきた。アンテナを世界にはりめぐらして、システムを学ぼう。老人介護費もうくだろう。ただし、遣唐使ではないが、職員を派遣するときは、2日の短期出張はやめることだ。航空運賃をどうせかけるのならば、けちらないことだ。2日事務所巡りをして、話をきくだけでは、学べない。ジャーナリストのように、事前に、専門家とアポをとり、日本人だけではなく、スウェーデンの専門官の話を通訳をつけて、きくことだ。スウェーデンは、半年から一年前に計画を立てるのが普通だから、事前にきちんとすること。あわてる短期出張をくりかえさせる今の日本の企業、官僚の短期出張は見直されるべきだ。余裕をもって一日、その地を歩き回って、感じさせる、空気を感じる時間をもたせることが、これからの日本企業や政府の発展に必ず寄与することだろう。



ただし、国会議員や政治家のみなさまは、海外出張の際、大使館晩餐会だけ出席し、資料だけもらって、勉強しないで帰ることだけは、避けてほしい。海外の大使館員の手をあまりわざらわすことなく、ご自身でアポをとり、どんどん視察し、海外の現状システムを学ぶべく、ご自身で通訳を雇ってもリサーチされる質の高い政治家の出現を期待する。


会議場とホテルの往復でその国の市場も町並みもみる時間がない、今の日本の出張のやりかたは、余裕がなさすぎる。いわれたことだけ、こなすといい時代ではない。その一日で、仕事に関するどんなヒントをその国で感じたか。ノルマをこなす余裕のないやりかたでは、国際競争を勝てない。観察する一日を余裕として与えることは、今の日本企業や国に必要なやりかたではないか。ビジネスや国策のいいアイデア、ヒントはもしかしたら、本会議より、歩き回った一日のふとした光景から、生み出されるかもしれない。


スウェーデンのイケアの創始者社長は、若い時、旅先のアメリカでふと見た光景が、イケアをはじめる大きなヒントとなった。H&Mの社長も、海外へ旅行し、当時スウェーデンになかったスタイルで販売するヒントを得た。スウェーデンに帰ってから、だれもそれまでやらない新しいやりかたをはじめた。ソニーの元社長は、海外へ妻と一緒にでかけ、飛行機に乗っている間に、ふとウオークマンのアイデイアがうかんだ。世界で、大きく成功するたのヒントは、瞬間に感じるひらめきやヒントにあり。日本の明るい未来は、”ひらめき” ここにある。
by nyfiken | 2008-04-05 19:40