オーラを感じるとき。
2008年 12月 14日
不思議なことだが、オーラを感じたことが思い出すだけで、何回かある。
その人からでている魅力とひかり。恋する乙女にとっては、オーラのイリュージョン錯覚光をみることもあるだろう。年を重ねるとそのイリュージョンすら見えなくなる。ヨン様とよろよろめくことができた元乙女のおばさまたちは、健康的だ。最近は、通りを歩くたくましい系ブルドッグ系犬にため息をそしてオーラを感じる。しかし北欧美男アンデルセンなどには、太陽が毎日上がって沈むのが当たり前になってしまって、オーラもイリュージョンもみえない。
ボクサー犬のブラウンと白い足くびなどには、後光がさしてみえる。”まあ。なんて素敵なの!(どきどき。。)”通り過ぎる犬はなんとも思っていない。片思いの気持ち。報われないあこがれのボクサー犬は、一瞬だけオーラをまきちらして、ふてぶてしく通り過ぎていく。一瞥をして。あの白い足がすらりと美しい。ストックホルムのボクサー犬も時々見かけるが、JALやANAがブルドッグ系わんちゃん乗客を拒否するには、あの顔に似合わない環境変化に弱いという理由とのこと。
服飾デザイナーのYOSHIE INABAは、私がBIGIのからずっとひいきにしていたブランドである。と書くとまるでわたしが、いつも常連みたいにきこえるが、ひいきにして、お店をよくのぞいたということである。大学生の頃。週末は受験生の勉強をみる英語アルバイトで忙しく、家庭教師をして、お金を使う時間がなかった私。潤っていた。飲み代に使ってしまった同級生などに頼まれてしっかり貸し出しをした。利子はなかったが、返すときには、美味しいパフェやあんみつやおしるこ一杯がわたしへのお礼として支払われた古きよき時代。
INABAYOSHIEのファッションショーを青山に知人に誘われてみにいったことがある。
実はファッションデザイナーブランドの世界で働こうと思ったこともある。あるブランドの六本木のオフィスに面接にいったが、当時の給料があまりに低すぎたために、あきらめた。東京自宅通者が結婚前の足かけとしては何とか暮らしていける給料であった。
女性が自立してファッションメーカーの広報で活躍するには、家賃などを考えたら不可能に近い額である。世界へむけて日本のデザイナーブランドを発展広報したいという野望は、そういうことであっさりと消えた。
日本のファッションメーカーが、家賃を払ったら消えてしまう額を提示しているかぎり、東京に自宅の人がある人のみが就職できる。企業の将来を考えた場合、全国から企業を発展させる若いマンパワーを求めるべき。
もしあのときに就職していたら、きっと夜遅い東京のあるレストランで部下を連れて年末忘年会を青山あたりでやっていたのだろうか。マンションで待っているのは、可愛いわんちゃん。時々妹と東京のバーでお互いのぐちを言い合っていまごろ酔っぱらっていたかもしれない。
稲葉よしえのファッションショーは美しいモデルがステージに立った。スタッフは黒い服。私にとってオーラのように光り輝いていたのはデザイナー本人だった。若くはない白髪まじりだが、なんと気品があって美しいのだろう。とたたずまいに圧倒させられた。外国人モデルがステージに立っていたが、お人形のようにわたしにはあまり魅力的ではなかった。洋服をみせるためのモデルで、きれいだが、それだけのこと。ファッションショーを指揮している稲葉よしえの姿が緊張感があってなんと美しい姿だったのだろう。
アイボリーのイヤリングや洋服の色との組み合わせがシック。
ファッションをいろいろ考える。ブランド志向ではないが、スウェーデンでいろいろ溢れるファッションのなかで、これというものはいまだにない。スペインZARAは流行をおいすぎて次のシーズンはなんとなく。。H&Mものぞくし、いろいろなブテイックを目の保養に歩く。これ、どうしても。というごひいきがない。それはもしかしたら、以前のBIGIやMOGAの専属ブテイックにいたおねえさんが、いないから?スタイリストのようなファッションセンスに優れた女性は、本当にすぐれたセンスがあり、いろいろとアドヴァイスをくれた。。。
ファッションは今まさに曲がり角に来ているのではないかと感じる。年代別だけではなく、ライフスタイルなど。ファッション雑誌はこれほどあふれている。
オーラ。さて本題にもどる。
ストックホルムので偶然会った。2000年のノーベル文学賞パリ在住中国人文学者Gao XINGJIANGが翌年ストックホルムを訪れてデパートであう。知り合いが”GAOさん!!”と呼ぶ。ノーベル文学賞受賞の作家とそのお連れの若いすらりとしたパリの中国人女性は、シックなパリの東洋人の印象があった。彼を見た瞬間。なんともシンプルな黒のセーター姿だったのに鋭い光とオーラを感じた。
作家というと、おもしろい小説やエッセーを書く椎名先生のオーラも半端ではない。日本では、代々木の羊屋でおみかけした。北アフリカの料理チュニジア料理と赤ワイン。
ひつじ屋。
渋谷区代々木1-59-1
オーハシビルM2F
03-3320-3651
11:30~15:00
18:00~24:00
(土17:30~) 日休
むかし、スウェーデンではないが、外国のある場所でのアパートのお隣の部屋にチュニジア人が住んでいた。フランス語の先生だったり、数学の先生でリセの先生だった。チュニジア人が料理を作ってもてなしてくれたのが何回か。すっかりと好きになったブリオックなど大好き。オジャも。3人のチュニジア人が両隣そして下の部屋。よるになるとチュニジア音楽とぷうーんというスパイスの香り。たまらなかった。
階下は、色素の薄い白い肌と金髪と眉毛まつ毛まで金髪だったニュージーランド人パイロットと色の黒いフィジー人の奥さんのカップルだった。肉をよく焼いていた。必ずお料理を焼きながら、いつもきまってこの音楽が流れてきた。料理が上手な奥さんのようで、肉が焼けるいい香り、ジューッという香ばしい香りが漂ってくる。フィジー料理とチュニジア料理の香りで、夕方サンセットで虫が鳴き始める時間帯、異国情緒たっぷりの台所の香りでむせるようだった。たまらなくなって、チュニジア人の隣人とおともだちになって、しっかりとお料理ABCを教えてもらった。ありがとう!フィジーの女性は、赤ちゃんがいたが、なぜかフリヲイグレシアスをかけながら料理をする。肉のじゅーっと言う音。香ばしい香りと甘ーい声のイグレしアスはわたしの脳みそににインプットされてしまった。音と香りと情景は脳のシナプスで時間がたってもつながれている。
それ以来フリオイグリシアスの音楽が流れるものなら、あの夕方のフィジー人妻ニュージーランドのパイロットのご主人にいそいそと肉を焼いていたあのジューっの香りが条件反射のように。一時期この音楽を彼女は大ボリュームでかけながら、夕食を作っていた。パイロットは島に飛ぶ飛行機のパイロット。スタミナたっぷりの食事には十分愛情が。赤ちゃんもハーフで可愛かった。眉毛まで真っ白な金髪そばかすの色素の極端に薄いご主人。色の黒くて髪の毛がアフロの奥さん。
以上羊やのことを思い出したら前の思い出が。。。
さて話はもどる。東京でひさしぶりに、チュニジア料理を食べたくて職場の上司女性と一緒にでかけた時。偶然にレストランに、仲間と入ってきた椎名誠氏のきらきらポジテイブオーラ。さわやかな風が吹く。実物が本の写真より本当に素敵な男性。おとりまきの男性たちもなあんとさわやかな風が。オーラオーラの光線シャワーをあびて、目を細めていたわたし。きらきらしているしいなさん。あの本の裏の写真は、本物を表していない。オーラは写真に写らないのだろうか。椎名まことのエッセーで一番すきなのは、結婚式の写真をとるときの、おばさんのおびのひもにぐっと力をいれるといったもの。ひところまじめに笑って読んでいた。
上司の女性課長に、1メートル離れている後ろに、あの椎名さんがいることを告げたいが、彼女はまったく気がつかない。小声で”しいなまことさんがいますー。”といっても”えっ?なに?急にどうして大声から小声になっちゃったの?”
そういう例もあるが、有名だからオーラがあるとは限らない。テレビでみると、顔も大きくてふてぶてしいが、現実実物は小男できゃしゃでびっくり。ということもある。また。テレビでみるときは、後ろの5センフに気がつかないが、後ろの下の部分を左から右へはりつけたように、なでつけていちおうかっさりとはげていないように、2メートル離れたところから見える人。
不思議にとても有名な人をすぐそばで見ても、ごくごくふつうかもしくはオーラを全く感じないことすらある。逆にあまりに普通すぎてがっかりすることすらある。写真や映像が素敵なのに、実物が違うことも。代官山近くをかつかつと歩いていた女優の浅野あつこも素敵だった。
FOBCOOPの女性経営者が横浜本牧のお店にいたときのなんともいえない素敵なオーラ。益永みつ枝さんは、そばでみるとそのオーラに圧倒される。
マイカル本牧ができたころ、一階のFOBCOOPが大好きで毎週末仕事がおわって、でかけ、カフェでコーヒーを飲んでまどろんだりしたもの。雑貨のセンスがぴかいちの女性は、日本の過去20年の雑貨シーンを変えた先駆者。アフタヌーンTEAというのも、成功したが、カフェの経営と雑貨という女性の夢をスタイリスト的なセンスと経営センスで大成功に導いた。元気を与えてくれる経営者。その益永さんへのインタビューをたまたまあるブログでみつける。
http://blog.smatch.jp/ayakan/おもしろい。I LOVE×LOVE NYというブログ。本人の説明によると。
”念願のNY遊学から日本に帰国。
住まいは、インド人街、江戸川区西葛西。
インド人の経営するゲストハウスに住んでます。
敷金礼金なんか払ってアパートに住めるもんかっ!
ましてや、ローンなんて払ってマンションなんて買えるもんか!”
ニューヨーク遊学から戻ってインド人のゲストハウスに住む日本女性の日々の暮らし。感性がなかなかよろしい。20代の女性のいろいろな生き様をみて、最近は女性の生き方の多様化。彼女が憧れている益永さんのインタビューをすることになったのかは面白い。そのブログの中に益永さんの生き方にふれている。
その中から抜粋。読みたい人は、直接上記のブログへ。
”そう、お店で待っていてくださった益永さんは、
フランス映画の女優を思い出すような、大きなサングラスを外し、
日の差し込む窓側の席につき、
コーヒーを注文。私は緑のスムージーを注文。
むちゃくちゃ緊張しましたが、いざ向かい合ってみると、
不思議とリラックスし、安心できました。
母性のようなやさしい雰囲気に包まれた感じ。
まずは、スマッチブログの事を
説明させてもらったのですが、
益永さん:
私は、パソコンのことなんて全然わからない。
バーチャル世界よりも、現実の方がいい。
だって、例えば美味しいカレーの店があるって知っても、
行って食べてみなきゃわかんないじゃない。
やっぱり、何事も、自分でやってみて、
ぶつかっていっていくこと。
行動に起こしたことで、すっ転んで頭打って
血をだしたとしても、
「あ、血が出た、痛いっ!」
って自分が感じてみなきゃわからないしね。
さっそく、益永さんの風が吹いてます。
緊張してた事なんかすっかり忘れました。
正直、益永さんは、おしゃれでカッコよすぎて敷居が高いのかも。。
と不安でしたが
超フランク。ユーモアも自然です。
この勢いで、バシバシ質問を。
● (私が今、25歳なんですけども)益永さんは
25歳の時、どういう事を考えてましたか?
24歳で一人目の子供を産んでいたから、
毎日毎日、育児と生活の繰り返し。
子供を産む前は、
まわりの男の人たちにモテて、って生活をしてたのに、
子供を産んでから全くの違う生活だったわけ。
でも、子育てをする事で、
「人間がいかにして成長していくか」という過程を目の前で見て、
やったことのない事ばかりの大変な毎日だったけど、
「私、今、すごく大変~っ!苦しんでる~っ!」
って思って、すごく楽しかった。
すげっ。苦しむことが楽しいって、、なかなか思えないっす。私。
どうして、こんなに前向きに生きられるのか?
(略)
また、益永さんは、
今の若者の生活、暮らしにもコメントしてくれました。
益永さん:
まー、今の若い人たちは贅沢よね。
一人に一部屋、何不自由なく暮らしてるけど、
例えお金があったとしても、部屋をシェアして共同生活をしたり、
貧乏ならも生活してみるっていう事を楽しまなきゃもったいないと思う。
限られた自分の生活・スペースの中で、どう工夫するか?
「何かを耐える楽しみ」っていうのもあるのよ。
服だって、何十万もするようなブランド物の服よりも、
千円で見つけた服を自分なりに似合ようにできるかもしれないしね。
私も、自分で作ってみたりしたし。
自分自身で良いって思う自分の価値を作らなきゃ。
また、最近の益永さんは、年を重ねてみて、
色々とわかってきた事もあるという。
今は、持ち物も少なくてすむし、シンプルに、身軽に生きられる。
年を重ねることがこんなにも楽に生きていけるんだな
と思って、現在も、毎日が楽しいのだそうです。
そして、益永さんの凄いところは、普段の生活の中で
「なんでこうなの?おかしい!」と思う事も、
ちゃんと見過ごさないという事。
益永さん:
物事の問題を見抜く力を私は持っている。
最近の立て付けの悪い建築の問題だって、
ずっとおかしいって言ってたの。
また、前回紹介した、デュラレックスという、
今や使った事のない人はいない程のグラスを広めることになったのも、
この問題意識あってこそだと思うエピソードがあります。
益永さんが、偶然、ロスのカフェで出会ったこの素敵なグラスを、
ぜひとも日本に輸入したいと動き出した時の話。
日本に帰国してから、ある商社にカタログを取り寄せてもらい、
いざ全種類のグラスを輸入して欲しいとおねがいしたらば
「答えはNO。これは強化ガラスで、こんな強いガラスを日本に入れると
割れないから、リピートオーダーがこないし、
売れたとしても他の物が売れなくなる。
だからこれを輸入してはいけない」と断られてのだそうです。
この時、益永さんは、経済がこういった規制で成り立っている問題に
向かい合うこととなったわけですね。
その後、益永さんは、
デュラレックスの生産の地であるフランスに
初めて、自ら乗り込んだわけです。(略)
益永さんが、
「本当によいモノが、経済の規制によって流通しないのはおかしい」
と思わなかったら、日本人はデュラレックスのグラスを
手にしていなかったといっても過言ではないです。
また、「問題を見過ごさない」という前に、
「何が問題であるかを見抜く力」と
「本当にいいものを見抜く目・力」というのも、益永さんの凄いところ。
そこで、
● やっぱり、いい男を見抜く力も凄いんですか?
と聞いてしまいました。
すると、興味深いお答えが。。。
以上ブログより。なかなか面白い。
続く。
益永さん:
そうねぇ。
というか、私は100人くらいボーイフレンドがいたから、
その100人の中から1番いい人を選んだの。
だから、いい男に決まってるじゃない。
ひぇ~
私は、うちの若い社員にも言ってるんだけど、
男、女って意識し過ぎずに、どんどん友達は作っていくものよ!
あ、確かに。
変に意識しすぎて、もったいない事している節、私にもあります。
ところで、益永さんは、
雑貨等の仕入れのために、海外に行く事も多いし、
主に、フランスには何度も行かれているようですが、
私としては、「フランスに住む」というのも考えられると思うのに、
益永さんは、ずっと日本にお住まいです。
その理由を聞いてみました。
● なぜ、フランスに住んだりしないんですか?
だって、出来上がったモノの中にいても面白くないじゃん。
それよりは、なにも無いところから
自分で作って生きていくほうがずっと楽しいからよ。
特にフランスなんか完璧に出来上がってる世界だから。。
もちろん、フランスにある良いモノは、
日本に取り入れて広められている益永さんですが、
逆に、デュラレックスというガラスのコップが日本に広まった今、
疑問に思う事があるそうです。
「どうしてこんなモノ、越えられないんだろう?」
「日本の高度な技術を以ってすれば、
簡単に超えられると思うのに、なぜやらないのだろう」
ということ。
な・る・ほ・ど。
私は単に、「やっぱフランスは凄いな」とか、
「それを広めた益永さんすごいな」で終わっています。
結局、益永さんに負けないように
これから良いモノづくりをして、
良い物を見極める目を持たなきゃいけないのは
私たち世代?
私たち次第?
そういう事ですね。
益永さんにこれからの夢を、お聞きました。
すると、
夢はいっぱいあるけど、その一つとしては
老人ホームをつくる事。
昨年、私の親が亡くなって、改めて老いを考えるようになったの。
そして、何よりも自分の老後は、
酷い老人ホームにお世話になりたくないって事を感じたの。
現状、多くの老人ホームだと、
おじいちゃんおばあちゃんの頭にでっかいお花やリボンをつけて
「一緒にお歌をうたいましょ~ねぇ」みたいな扱い。
それに、施設もきれいじゃないしね。
私は、年をとって、
たとえ自分が自分だとわからなくなったとしても、
そんな扱いを受けるのは真っ平!
だから、ホテルみたいにきれいで、
身の回りの事もきちんと人がやってくれるような
住まいの場をつくりたいのよ。
老後の住まい・生活に関して、考えるのは
まだまだ漠然とした感じでしかないです。
でも、いずれは自分の親も、
そして自分自身も「老いの生活」という事を
考えなければならないですよね。
最後に、益永さんは、こう教えてくれました。
人生なんてシンプルよ!
シンプルに生きれば毎日楽しいし。
どうせ人間の考えてる事なんか大した事無いんだから
生き様をオープンにしていいものよ。
迷える子羊ちゃん!(→ 私 )
参りました!!
以上が一部の紹介。25才のブログをすなおな気持ちでインタビューしたり書いたりしている。
たくさんの日本女性が益永さんみたいになったら、日本の政治もずっとよくなる。
もうひとり素敵な大人の女性島田順子が好きだ。学生の頃、島田順子のシンプルな黒いえりぐりのあいたニットやセーターは大のお気に入りだった。クビのラインやネックなどのデテイルやセクシーさをよくわかっているデザイナー。白髪もなんと素敵なことだろう。日本女性洗練されて年を重ねる人。大人の女性がもつ洗練とか女性らしさ。
また年齢を重ねて美しくなるひとに、花井ゆきこもいる。ファッションデザイナーは感性のあるひとが多い。またデザイナーだけではなく、経営者としての責任感や緊張感が女性をあのようにする。わたしは、こういった大人の美しい先輩の日本女性が大好きである。
これを科学的にどう説明ができるのだろう。人間が発する光と電波。オーロラみたいにみえないが、後光がさしてみえる。下村氏の研究ではないが、クラゲのように光り輝くオーラは、内側から自然に発生するでんきのようなもの。オーラよでてこい!と念じても生物体は正直だ。ヴィトンのバッグをもって、高級なブランド品をつけただけでは決してでてこない。